低価買取

不要になった品物の高価買取というのは、特に最近盛んになっているようで、我が家の固定電話にかかってくる電話の何分の一かはこの手の買取業者からのもので、数日に一度はかかってきます。

同時に、街中には衣類から生活雑貨、古書に至るまで、あらゆるジャンルのリサイクルショップが雨後の筍のように出現して、しかもそれらの多くがガラス張りのピカピカの店舗であるのも最近の特徴だろうと思います。

今もやっているかもしれませんが、テレビコマーシャルでやたら流れていたのがバイクの買取で、こだわりのオーナーの意を汲んで高価買取しますというようなフレーズが宣伝文句でしたが、知人から聞いた話では現実はぜんぜん違うんだそうで、かなりのものであっても、概ね1万円ほどが買取額の相場らしく、およそ「高価」とは程遠いものであるらしいということを聞いていました。

マロニエ君の場合はバイクは十代の頃にすっかり卒業したので関係ないけれど、家の中には処分したいものの、棄てるには忍びないようなものが結構あって、昨年も花梨の大型和式のテーブルと、オニキスの大理石のテーブルを処分することにしました。

自分で言うのもなんですが、どちらもそれなりの高級品で親や祖父が当時としては奮発して買い求めていたもので、気になるような傷もなく程度はよかったのですが、生活様式の変化から使うことなく物置の場所ばかり占領するので、ついに処分することに。
この手の良品を専門とする業者に連絡すると、大いに興味を示し、ずいぶんと遠方からトラックを仕立ててやってきましたが、いざとなると、とても納得出来ないようなあれこれの理由とか、確かめようもないような市場のニーズなどを綿々とあげ連ねたあげく、だから高額では引き取れないというような話にまんまと誘導され、両方で2000円を渡され、トラックに積んで持って行きました。

それなりのものでもあっただけに、ショックがなかったといえばウソになりますが、もう使わないし、空間のほうが大切だと考えるようになっていましたので、そこで未練を出しても仕方がないと思って諦めました。
そもそも高価買取なんていったところで、根拠も裏付けもない「高価」なわけで、そもそも手放す側が不要であるからには、その背景には限りなく廃棄に近い事情があるわけで、業者のほうもそのあたりのことを嫌というほど心得ているようです。

先日も、有名な本の買い取り業者に数百冊の本を託しましたが、中には貴重な創刊号からそろったSUPER CGとか、いろいろとそれなりの書籍がありました。もう要らないけれど、そのまま紐で結わえてリサイクルゴミとして出すより多少世の中のお役に立てばという気持ちもあったので、このメジャー店への買取依頼をしました。

その後、待てど暮らせど音沙汰はなく、先日ようやく銀行口座に振り込まれた金額はというと、たったの470円ほどでした。
まったく期待はしていなかったけれど、この金額にもやっぱり驚きました。
値段の付かないものもあるだろうとは思うけれど、平均するとほとんど1円/冊という感じで、べつに腹は立たなかったけれど、この手の商売のすごみみたいなものを感じたことも事実です。

ほかにも、衣類やら昔の輪島の漆器など、いろいろなものがあったけれど、マロニエ君は売りに行くのが嫌でぜんぶ廃棄すると言っていたら、友人がそれ見かねて買取屋に持って行ってくれましたが、衣類は45Lのビニール袋がふたつぐらいの量で、内容的にもそう悪くはないものだったと思いますが、全部で400円、往復のバス代にもならなかったとのこと。
いっぽう、漆器類に至ってはタダということでした。

巷ではフリーマーケットが盛んだといいますが、その背景にはこのような、極端なまでの安価買取に嫌気がさして自分の手で直売しようということになっているのだろうとも思います。

いらい最近は、照明の煌々とついたきらびやかなリサイクルショップの前を通っても、「ああ、ここの商品の大半はタダか、限りなくそれに近い捨て値で仕入れたものなんだろう…」というふうにしか見えなくなりました。
要は、仕入れは実質ゼロ、それを磨いて並べて人を雇って売っている、それだけのこと。