ヴォロディンの聴き応え

NHKで立て続けにアレクセイ・ヴォロディンのピアノを聴きました。

ひとつはクラシック音楽館でのN響の公演から、井上道義の指揮によるオール・ショスタコーヴィチ・プログラムで、ヴォロディンはピアノ協奏曲第1番のソリストとして登場。

もうひとつは早朝のクラシック倶楽部で放映された、浜離宮朝日ホールで行われたリサイタルの様子でした。
いずれも昨年11月に来日した折の演奏の様子だったようです。

体型はわずかにぽっちゃりではあるけれど、非常に思索的な厳しい表情と、目鼻立ちの整ったいわゆる美男子系の顔立ちで、誰かにいていると思ったらペレストロイカで世界を席巻したゴルバチョフ元大統領の若いころにもどこか通じる感じでしょうか。
風貌のことはどうでもいいですね。

リサイタルの演目は、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」からスケルツォ、メトネルの4つのおとぎ話から第4番、そしてラフマニノフのピアノ・ソナタ第1番。実際の演奏会では、この他にプロコフィエフのバレエ、ロメオとジュリエットから10の小品も演奏されたようです。

協奏曲、独奏いずれにおいても非常に安定した逞しさの中に美しいオーソドックスな演奏が展開され、非常に満足のいくものでした。
これまでにも「ロシアピアニズムの継承者」といわれるピアニストはたくさんいたけれど、近年はどうも言葉だけの場合が多いというか、実際はそのように感じられる人はなかなかいないというのがマロニエ君の正直な印象でした。
ロシアというわりには意外なほど線が細かったり、華のない二軍選手といった感じだったり、あるいはやたら力技でブルドーザーのように押しまくる格闘技のようだったり、全体が雑で音楽的な聴かせどころがボケてしまった演奏だったりするのがほとんどでしたが、ボロディンはそのいずれでもない点が注目でした。

真っ当で、力強く、技巧的な厚みがしっかりあって、ロマンティック。
演奏技巧にまったく不安がないと同時に、音楽の息づかいや綾のようなものはきちっと押さえており、聴く者の気分を逸しません。

最近は良い意味でのロシアらしいピアノを弾く人が少なく、それなりに有名どころは何人かいますが、どこかがなにかが欠けるものがあってこの人という納得できることがなかなかありませんでした。
たしかに、グリゴリー・ソコロフなどのように現代ピアニスト界の別格ように崇められる人もおられるようですから、ロシアピアニズムは健在という見方もできなくはないかれど、どうもソコロフにはいつも凄いと思いながらも、心底好きになれない自分があり、たしかに素晴らしい演奏もある反面でどこか恣意的偏執的で作品のフォルムがゆがんでしまっているように感じることもあるので、いつも「この人はちょっと横に置いといて…」という感じになってしまいます。

マロニエ君はもちろん、技巧の素晴らしい人も高く評価してしますが、だからといってその技巧があまりにも前に出ていて、高圧的かつ力でねじ伏せるようなものになると途端に気持ちが冷めてしまいます。

ヴォロディンは、世界屈指の最高級ピアニストであるとか、スターになれるとか、カリスマ性があるといったピアニストではないかもしれないけれど、豊かな情感を維持しながら、ピアノを深く鳴らしながら、キチッとなんでも信頼感をもって聴かせてくれるという点で、数少ない確かなピアニストだといえるだろうと思いました。

とくにこの一連の放送の中でも強く印象に残ったのは、まず普通は演奏されることのないラフマニノフのピアノ・ソナタ第1番でした。有名な第2番でさえそれほど演奏機会が多いとはいえないソナタですが、まして第1番はまず弾かれることはありません。
マロニエ君の膨大なCDライブラリーの中でも、ソナタ第1番というとぱっと思い出すのはベレゾフスキーぐらいで、なかなか耳にも馴染んでいませんが、いかにもラフマニノフらしいところの多い力作だと思いました。

ラフマニノフというのは、作曲家としてもあれほど有名であるのに、意外に演奏機会の少ない曲もあるようで、ソナタ並みに大曲であるショパンの主題による変奏曲とか、ピアノ協奏曲でも第1番と第4番はまず演奏されませんが、そんなに駄作でもステージに上げにくい曲でもないのに、どういうわけだろうか思います。

話をヴォロでィンに戻すと、この人は聴く側にとってなにか強烈な魅力があって熱狂的ファンがつくというタイプの人ではないのでしょうけど、本物のプロのピアニストだと思うし、今後も喜んで聴いていきたいひとりだと思いました。

アンコールは、協奏曲、リサイタルのいずれでも、プロコフィエフの「10の小品」Op.12から第10曲でしたが、息をつく暇もないこの曲をものの見事に聴かせてくれました。