愛情かゴマスリか

巷でプレミアムフライデーなどといわれる先週の金曜日、たまたま知人と食事をすることになって、とあるイタリアンのお店に行きました。
べつにお店の方はプレミアムではなく、美味しいけれどわりにリーズナブルなお店です。

イタリアンテイストの店内には、椅子とテーブルがぎゅうぎゅうに詰められていて、隣の席ともかなり距離が近く、席を立つときは、隣のテーブルに体や衣服が接触しないか、細心の気を遣う感じです。

とうぜん隣の人の会話も筒抜けであるし、こちらもつい遠慮がちにしゃべってしまうのは気弱なせいでしょうか。

さて、隣の席は6人からなるご家族御一行様で、おじいさん、おばあさん、おとうさん、おかあさん、小学生の娘、さらにその弟くんの6人でしたが、どうやら娘の誕生日らしく家族で夕食を楽しんでいるようでした。
サラダ、飲み物やデザートなどはセルフの店ですが、おじいさんを除く家族5人は、誰かしらが絶え間なく立ったり座ったりで、ゆっくり6人着席しているときがないのは、まあ多少煩わしくはありました。

まあ、そこまではそんな店なのだから致し方ありません。
ところが、こちらの食事が終わり、デザートも半分ほど食べたかなぁというころ、隣の席に「お待たせしました!」とばかりに全身白ずくめのコック姿の若い女性が、大きなワゴンを押しながらやって来ました。
6人家族はそれを見るなり、口々に「わー、きたきた!」と歓声をあげだします。

ワゴンの上には、円筒状のスポンジが乗っており、横には生クリームのボウルやらイチゴやらなにやらが置かれていて、お誕生ケーキの飾り付けをお客さんの見ている前でやるのだということがすぐ察知できました。
なにしろ狭いので、ワゴンの端は知人の肩にあたりそうなぐらいで、そこに大注目しながら家族中がわいわい言っているので、いやでも気になって仕方がありません。

やがてこの日誕生日を迎えた小学生の女の子がワゴン前に進み出ると、その女性パティシエ(イタリア語ではなんというのか?)が恭しげに生クリームを垂らしはじめ、それをナイフで周囲に均等に塗りつけて、だんだんとデコレーションケーキに仕上げるという趣向のようです。

その子は、子供で当然素人なので、実際には何もやっていないけれど、すべて女性パティシエが女の子の手に自分の手を覆いかぶさせようにして、子供を参加させながら作業しているのは傍目にも大変そうでした。しかも、その表情ときたら飛行機のCAさんも顔負けというほど満面の笑顔を保持して絶やしませんから仕事とはいえ大変です。

実は、マロニエ君が驚いたのはこの作業ではなく、それを見守る家族の尋常ではない様子のほうでした。
実質的な作業はすべて女性パティシエがやっているにもかかわらず、いちいち歓声をあげ「わああ、❍❍ちゃん、すごいね~」「上手だね~」「うまいうまい」「かわいくできてる〜!」「すっごい上手よ~」といった強烈な褒め言葉の嵐で、もう隣の席の他人様のことなど眼中にないようです。
もしかしたら多少こちらへ見せているフシもなきにしもあらずとも受け取れましたが、そのあたりはよくわかりません。

さらには、おとうさん、おかあさん、おばあさんの3人はいつの間にかワゴンの反対側に席を替わっていて、3人が3人、各自それぞれのスマホでその様子を動画撮影しまくっています。手では撮影を続けながら、口からは際限なく賞賛の言葉の数々が休むことなく連発され、それはもうちょっとした大騒ぎでした。

そういえばこの店では、たまにちょっと照明が落とされ、流れていたBGMが中断されたかと思うと、大げさな前奏に続いて「ハ~ッピバースディ、トゥ~ユ~」となり、あげくに大拍手が起こりますから、ケーキの飾り付けが終わったらろうそくを立て、その歌が始まるであろうことはもう時間の問題でした。

あまりにも真横なので、さすがに変なことを言う訳にも行かず、表情に出すこともできず、この間、なんども知人とは変な感じで目がチラッと合った程度でしたが、幸いにも食事が終わっていたことでもあり、小声で「行こうか…」ということになって、隣の席ではケーキづくりで盛り上がっているのを尻目に席を立ち、なんとか歌と拍手に加担させられることなく脱出できました。

子供の誕生日を祝ってあげたいという親心や家族愛は素敵なことですが、マロニエ君はああいうベタな世界は正直苦手。
とくに強い違和感を覚えたのは、家族中(おじいさんと弟くんを除く)が娘の一挙手一投足をゴマをするように褒めそやし絶賛しまくる光景でした。

もちろん子供は褒めてあげなくてはいけないし、惜しみなく愛情をかけてあげなくてはいけないけれど、あれはそれとは似て非なるものにしか見えまえんでした。
なんというか、言ってる自分(家族)のほうが盛り上がっているようでもあり、さらには大人が子供にむかって必死に媚びへつらっているようにしか見えず、とても自然なお祝いのひとときには感じられなかったのです。
自分達がイベントの機会を得て、演技的に盛り上がっているようにしか感じられなかったのは、マロニエ君の感性がおかしいのかもしれませんが。

親が子に限りない愛情で育むことと、何か大事な部分がどうしても結びつきませんでした。