自室にピアノを-1

自室を自宅内の別の部屋に引っ越しすることになり、年明けから一念発起して片付けを開始。
そこまでだったらいいのに、それに関連してまたも悪い癖がでしまいました。
その片隅に安物でいいから、ちょいとアップライトピアノでもいいから置きたいものだ…とけしからぬ考えがふわふわと頭をよぎるようになりました。

昨年末のこと、懇意のピアノ工房に1970年代のヤマハの艶消し木目のリニューアルピアノがあることを知り久しぶりに行ってみたのですが、外装の仕上げはずいぶん苦労されたようで、なるほど抜群に素晴らしかったものの、音は当たり前かもしれないけれど典型的な「ヤマハ」だったことに気持ちがつまづいてしまいました。

いっぽう、たまたま同工房にやはり売り物として置かれていた1960年代の同サイズのヤマハときたら音の性質が根底から全く違っており、マロニエ君のイメージに刷り込まれたヤマハ臭はなく、素朴で木の感じが漂うきっぱりした音がすることに、世代によってこうも違うものかと驚き、そのときのことはすでに書いたような記憶があります。

このときは美しい艶消し木目の魅力に気分がかなり出来上がっていたためか、音による違いの大きさは感じながらも、急に方向転換できぬままその日は工房のご夫妻と食事に行ってお開きとなりました。
マロニエ君としては、部屋の片付けがまだ当分は時間がかかりそうなこと、さらには壁のクロスの張り替えなども控えているので、そう焦ることはないとゆったり構えていたのですが、そうこうするうちにその1960年代のヤマハは売れてしまい、もう1台あった背の高い同じ時期のヤマハまで売却済みとなってしまい、あちゃー…という結果に。

ちなみにこの年代のピアノは、製造年代が古いという理由から価格が安いのだそうで、音より値段で売れていってしまうということでした。
もちろん値段も大事ですが、ものすごい差ではないのだから、長い付き合いになるピアノの場合「自分の好きな音」で選ばれるべきだと思うのですが、世の中なかなかそんな風にはいかないのかもしれません。
もしかしたらそのピアノを買われた方も音より価格で決められたのかもしれません。
逆にマロニエ君などにしてみれば好きな方が安いとあらば、一挙両得というべきで願ってもないことです。

ただしいくら音の好きなほうが安くて好都合とはいっても、肝心のモノが売れてしまったのではどうにもなりません。
というわけで、そう急いでピアノピアノと考えるのは間違っていると頭を冷やし、一旦はこの問題からは距離を置くことにしました。
そうこうするうちに2月に入り、片付けも大筋で見通しが立ち、クロスやカーテン/家具などを新調してみると、やっぱりまたピアノへの意識が芽生えてきました。

しかし例の工房の古き佳きヤマハは売れてしまったばかりで、そう次から次へと同様のピアノが入荷するとも思えません。
そもそも福岡には他にこれといって買いたくなるような中古ピアノ店もないし、そもそも家にピアノがないわけではないのだから、ゆっくり構えるしかないかと諦めることに。

その後、暇つぶしにヤフオクなどを見ていると、ヤマハやカワイに混じって、クロイツェル、シュヴァイツァスタイン、シュベスター、イースタインなど、かつて日本のピアノ産業が隆盛を極めたころに良質ピアノとして存在していた手作りピアノが、数からいえばほんの僅かではあるけれどチラチラ目につくようになりました。
マロニエ君はどうしても、こういうピアノに無性に惹かれてしまいます。

それからというもの、いろいろと調べたり音質の調査を兼ねてYouTubeでこの手のピアノの音を聴きまくる日々が始まりました。
もちろん現物に触れるのが一番というのはわかりきっていますが、そんなマイナーなピアノなんてそんじょそこらのピアノ店にあるはずもなく、唯一の手段としてパソコンのスピーカーから流れ出る乏しい音に耳を傾注させる以外にはありません。

ところで、パソコン(マロニエ君はiMac)のスピーカーというのは、ショボいようで、実は意外と真実をありのままに伝えてくれるところがあって、わざわざ別売りで買って繋いだスピーカーのほうが、変に色付けされた音がしたりして真実がわかりにくいこともあり、マロニエ君はiMacのスピーカーにはそこそこの信頼を置いています。
いい例が、かつて自分で所有していたディアパソン(気に入っていたのですが事情があって昨年手放しました)なども、忠実に現物のままの音が聞き取れるし、ヤマハやカワイはやはりその通りの音がします。

で、それらによると、古き良き時代の手作りピアノは(ものにもよるでしょうが)圧倒的に使われた材質がよいからか、一様に温かくやわらかな音がすると思いました。どうせ買うならやはりこの手に限ると静かに気持ちは決まりました。