赤松林太郎

最近ときどき耳にする新鋭ピアニストの中に赤松林太郎という名があるのをチラホラ見かけます。
青柳いづみこ氏の著書『アンリ・バルダ』の中でも彼の名は出てきたし、コンクールだったか、ネットだったか、詳しいことは覚えていませんが、マロニエ君の漠たるイメージとしてはかなりの実力派で、くわえて最近よくあるピアニストとはひと味違った独自の何かをお持ちの方ではないかという、これといって根拠もない勝手な想像をしていたわけです。

経歴を見ても、通常の音大出身者ではないのか、神戸大学卒業後にパリに留学されたということがあるのみで、どういう経過を辿ってピアニストとして名乗りを上げた人かというのがいまいちよくわかりませんし、そのあたりはあえてぼかされているのかもしれません。

ただ、誤解しないでいただきたいのは、マロニエ君はこういう風に書きつつも、実は経歴なんてまったくどうでもよく、むしろ普通とは違った道を歩み、それでもピアニストとしての才能が溢れている人が、半ば運命に押し出されるようにピアノ弾きのプロとして芸術家になるほうが遥かに魅力的であるし、個人的関心も遥かに高いとはっきり言っておきたいと思います。

逆に云うなら、名前を聞くだけで飽き飽きするような一流音大を「主席かなにかで」卒業し、海外に留学して、有名な指導者につき、あれこれの著名コンクールに出場して華々しい結果を収め、「現在、幅広い分野で世界的に活躍している最も注目されるピアニストのひとり」などとプロフィールに書かれる人にはまるで興味がないし、演奏を聴いても大半は魅力も感じません。

その点では赤松林太郎氏というのは、そういう感じがなく、どんな人なんだろう、どんな演奏をする人なんだろう…という一片の興味があったわけです。

さて、先日CD店の店頭でその赤松氏のCDが目に止まりました。
「そして鐘は鳴る~」というサブタイトルがつけられていて、曲目はアルヴォ・ペルト、ヘンデル、モーツアルト、シューマン、グラナドス、マリピエロ、ドビュッシー、スクリャービン、ラフマニノフ、マックス・レーガーという実に多彩なもので、すべて「鐘」に由来した作品を集めたもののようでした。
個人的には「鐘」というワードで括ることに何の意味があるのかわからなかったし、さして聴きたい曲ではなかったけれど、それをいっても仕方がないので敢えて購入。

演奏そのものは、今どきのハイレヴェルな技術の時代に出て来るほどの人なので、ぱっと聴いた感じはキズも破綻もむろんあろうはずもなく、すべてが見事なまでに練り上げられている演奏がズラリと並んでいました。ただ、期待に反してこれというインパクトもなく、何か惹きつけられる要素も感じぬまま、要するによくわからないピアニストという感じに終始しました。
聴いていて、マロニエ君個人はちっとも乗ってこないし、音楽の楽しさというと言葉では軽すぎるかもしれませんが、聴いているこちらに演奏を通じての作品の核のようなものが伝わるとか、演奏者のメッセージが入ってこないもどかしさを感じました。

少なくともマロニエ君は、演奏を聴く限りにおいては、さまざまな作品を通じて演奏者が投げかけてくる価値観やエモーショナルなものを受け取って、それを交感しながら共有したり楽しんだり(ときには反発)させられるところに、演奏という再生芸術の醍醐味があるのだと思っています。

ところが、そういうものがこの赤松氏の演奏から、未熟なマロニエ君の耳に聴こえてくることはなく、アカデミックで慎重、完璧、一点の曇りもなく演奏作品として完成させようという強い意志ばかりが感じられました。もちろん後に残るCD作品として、精度の高いものに作り上げようという意気込みもあったのかもしれませんし、時代的要求もあることなのでこういう方向に陥ることもまったくわからないではないけれど、しかし演奏をあまりにスキのない商品のようにばかり仕上げることが正解なのかどうか、マロニエ君にはわからないし、そういうスタイルは少なくとも自分の趣味ではありません。

少なくとも心が何らかの刺激を受け、なんども聴いてみたいというものではなくては演奏の意味をどこに見出して良いのやらわかりません。

ピアノはヤマハのCFXを使用とありましたが、今回は正直楽器云々をあまり感じることはありませんでした。
全体に各所で間を取り過ぎるぐらいの慎重な安全運転で、どちらかというと音も詰まったようで開放感が感じられません。むろん基本的には美しいピアノ音ではあるものの、ピアノの音を聴く喜びというものとはどこか違った製品の美しさのように感じました。
これには録音側の技術とかプロデュース側の責任も大きいかもしれませんから、むろん演奏者ばかりを責めるわけにもいかないでしょう。

レーベルはキング・インターナショナルですが、録音自体はいわゆる日本的クオリティ重視で、盆栽のように小さくまとまった感じがあり、豊かで広がりのある響きとか、ピアノから発せられる音の発散といったものがまったく感じられませんでした。
つい先日、30年近く前に録音(DECCA)のアンドラーシュ・シフによるバッハのイギリス組曲の録音の素晴らしさに感動したばかりだったことも重なって、余計にその違いが耳に目立ったのかもしれません。

演奏も、録音も、実に難しいものだなぁ…とあらためて感じないではいられないCDでした。