草野政眞(くさのまさちか)さんというピアニストをご存知でしょうか。
以前どこかのピアノ店のブログですこし動画を見た記憶があったのですが、その後お名前さえわからなくなってしまって、今回YouTubeで偶然見つけました。
はじめはえらく腕のいいピアニストがいるものだと思った程度だったのですが、ショパンの英雄などはちょっとこれまでに聴いたことのないような雄渾な演奏で、まったく臆するところがなく絢爛としていて常に余裕があり、技術的にも並ではないものがあって唸りました。
準備した作品をそのままステージで間違いなく再現するのではなく、その場の感興に委ねている部分のあることが、音楽という一過性の芸術をより鮮明で魅力的なものにしていると思いました。
こういうものに触れたとき、演奏芸術の抗しがたい魅力を再認識し圧倒されてしまいます。
この英雄ポロネーズは若い頃の演奏のようで、J.シュトラウスの皇帝円舞曲(えらく演奏至難な編曲のよう)などはそれよりは後年のもので白髪も増えておられるけれど、いかなる難所が来ようともがっちりと危なげなく弾きこなしておられるのは呆れるばかり。
当然ながら技巧はものすごいけれど、アスリート的優等生とはまったく異なり、演奏には音楽の実と生命力があり、息吹があり、グランドロマンティックとでもいいたい迫力と重みが漲っています。
突出した技巧をお持ち故か、演奏曲目もタンホイザーなど重量級のものが多いけれど、いずれもすんなりと耳に入りやすい明晰な音楽として良い意味でのデフォルメがなされており、聴衆に難解退屈なものを押し付けるようなところがまったくありません。
いかにも自分の信じるスタイルのピアノを弾くことだけに徹した謙虚かつ一途な姿勢、分厚くて大きな手、そこから繰り出される密度の高い、腰の座ったリッチな音の洪水は、ちょっと他の演奏家からは聴けない充実したもの。
完全に楽器が鳴りきっており、その男性的な美音はどこかグルダに通じるものがあるようにも感じます。
マロニエ君も自分なりにいろいろなピアニストには注意を払ってきたつもりでしたが、この草野さんはまったく存じあげず、こういう超弩級のピアニストが日本国内にひっそりと存在しておられるという事実に驚き、この思いがけない発見の嬉しさと、想像を遥かに超える華麗な演奏には完全にノックアウトされました。
特筆すべきは、技巧は凄いけれどもたんなる指の回る技巧のための技巧ではなく、多少大袈裟に言うなら、現代の正確無比な演奏技巧の中に19世紀ヴィルトゥオーゾの要素というか精神が少し混ざりこんだようでもあり、聴く者は理屈抜きに高揚感を得て満足する。
現代には、ただきれいな活字を並べただけのような、楽譜の指示にもきちんと服従していますといわんばかりの無機質な演奏をするピアニストは掃いて捨てるほどいますが、この草野政眞さんのピアノはその場で演奏の本質みたいなものが主体となり、反応し、組み上げられる手描きの生々しさがあり、必要以上に楽譜通りの演奏であろうとして、作品や演奏そのものが矮小化された感じは微塵もありません。
むしろ楽譜に表された以上の大きさをもって聴くものの耳に迫ります。
それでいて音楽に対する謙虚な姿勢と最高ランクの技巧が支えているというところが聴く者の心を揺さぶり、大きな充実感に満たされる最大の理由なのかもしれません。
ネットでこの方のお名前を検索してみると、ホームページを発見しました。
さほど更新された気配もない感じもしましたが、4枚のCDがあって購入可能であることを発見!
さっそく購入申込みをしてすべてを聴いてみましたが、基本的にはYouTubeの画像と同様の印象。
ただし、今日的基準でいうと演奏がやや荒削りで(そこが魅力なのだけれど)、出来不出来があることも感じないわけではありませんでしたし、すべてライブ録音なので、録音状態も良好とはいえず、これだけの素晴らしい演奏をもっとクオリティの高い録音で残せたらという無念さが残ります。
奥様からメールなども頂きましたが、これだけの腕と演奏実績がありながら、信じ難いことに演奏機会は少ないのだそうで、時代に合わないのだろうかというような記述もあり、その素晴らしさ故につい胸が詰まりました。
しかし、マロニエ君にしてみれば今時の退屈極まりないコンサートの中では、例外的に最も行ってみたい演奏のひとつで、これがヨゼフ・ホフマンやホロヴィッツの生きた頃、あるいはその残り香のある時代であれば、おそらくはもっとも絶賛されるピアニストのひとりだろうと思います。
現に彼の演奏を聴いた往年の巨匠シューラ・チェルカスキーはやはりこの草野氏を激賞しており、さもありなんと思いました。
どんな世界にも、時代背景や流行というのはあるけれど、良いものは時代を超越して良いわけで、これほどの方が不当な評価しか受けられないというのは、いかに日本の聴衆のレヴェルが低いのか、周りの理解が低いのか、国内の音楽環境の偏狭さを恥じなければならない気がします。
マロニエ君はコンクールなどを全面否定するつもりはないけれど、著名コンクールに優勝というような肩書がつかないとチケットも売れず、コンサートそのものも成立しないというのはまったく情けないことだと思います。
間違っていようと何であろうと、自分の「耳」と「感覚」を信じることができることが、一番大切だと信じます。
この方の演奏を聞くと、技巧で鳴らしたユジャ・ワンなどもどこかコンパクトに感じるし、とりわけ迫り来る音圧などは比較になりません。