『蜂蜜と遠雷』

知人からの情報で、いま話題だという小説『蜂蜜と遠雷』を読了しました。

この作品が直木賞受賞などというのはマロニエ君にとってはどうでもいいことだったけれど、内容がピアノコンクールを題材とした異色の小説ということで、珍しさに押されて読んでみることにしたのでした。
書店で手にとったときは、予想よりもずっと分厚い本で、文字列も上下二段組にされているなど、文字数もかなりのものでしたが、少し前の『羊と鋼の森』がそこそこおもしろかったこともあって、それなりの期待と興味をもって購入しました。

しかし(あくまでも個人的感想ですが)、それは読み続けることが苦痛になるほど内容に乏しく、表現も平坦安直で、この作者がそもそも何を言いたいのか、読者に何が伝えたかったのか、この作品の主題は何であるか、まったく不明。いくら読み進んでも、その核心が浮かび上がり、作品全体が収束してくる感覚を得ることはできませんでした。
作者は恩田陸という女性で、かなりピアノがお好きな方なんだそうで、それは甚だ結構なことですが、小説として作品にするための目的、周到な準備とか構想などがほとんど練られていないのでは?と思わざるを得ない印象でした。

文章においても表現の妙とか格調というものがまるでなく、ありふれた実用書の文体のほうがよほどマシではないかと思えるほどだったし、だいたい本を読むと、大いに膝を打つこと、ここは覚えておきたいなというような部分がいくつもあって、マロニエ君は極細の付箋のようなものを貼り付けて挟んでおくこともあるのですが、そういう部分も見事なまでに皆無。

こう言ってはなんだけれど、でもこれは直木賞まで受賞して、プロの文芸作品として立派な装丁をされて書店で大量販売されているものなのだから、この際遠慮なく言わせていただくと、構成など無いに等しいし、綿密な下調べや細かい調査がなされているとも感じられない。表現も陳腐な言い回しの連続で、各コンテスタントの心理描写に至ってはほとんどマンガの世界で、あくびの出るような文章が読んでも読んでも際限なく続くような印象。

逆に感心したのは、あれだけ内容のない(とマロニエ君は感じる)ものを、よくぞあれだけの長々とした文章にできたものだという、逆の意味での才能に感心してしまうほどでした。いつ果てるともない意味のないおしゃべりのように、読まされる読者にとってはほとんどどうでもいいようなことが、延々何百ページにもわたって繰り返されていくさまは、ほとんど苦痛でただもう疲れるし、途中で何度やめようかと思ったかしれません。

それでも、せこいようですが、せっかく2000円近いお金を出して購入したということと、好きなピアノが題材ということで、ほとんど意地と惰性だけで読み続けたものの、読むのがこれほど苦痛だった作品は久々でした。
むかし三文小説とか少女小説とかいうものがあったという話を聞いた記憶があるけれど、それはこういうものかと思ったり、とにかく最後まで読むことに自分としてはかなりのエネルギーを使わざるを得ませんでした。実に10日ほどもかけてようやく終わってみたものの、これは一体何だったのか、読んでいる最中よりますますわからなくなる、すっきりしない奇妙な経験でした。

文章や表現も、およそプロが書いたものというより、自費出版のアマチュアみたいで、それがともかくも直木賞をとったという事が(直木賞というのがどれほどのものか良くは知らないけれど)輪をかけて驚きでした。
作中にはピアノコンクールで勝ち進んで入賞あるいは優勝することがいかに過酷であり、人生をかけた戦いのように繰り返し述べられていたけれど、それは音楽コンクールだけの話で、文学界ではまるで事情が違うんだろうか…などとつい思わずにはいられないマロニエ君でした。

『蜂蜜と遠雷』というタイトルもよくわからないし、センスあるタイトルとは思えません。
…いま、たまたまセンスと書いたけれど、この作品で最もマロニエ君が違和感を覚えたのは、作家のいかにもアマチュアっぽいセンスの羅列だったからかもしれません。
ちなみに、これだったら専門性に優れたマンガの『ピアノのムシ』のほうが、はるかにクオリティは高く、接するに値する作品だとマロニエ君は思います。

あまりに驚いたものだから、アマゾンのカスタマーレビューを見てみると、概ね好意的な高評価が並んでいる陰で、マロニエ君が激しく共感できるような酷評もかなり数多く並んでいて、読んでいて「怒りすら覚えた」というのがあったときには、少しは溜飲の下がる思いがしました。

こういう作品のどういうところがどう評価されて権威ある賞を獲得し、書店でおおっぴらに販売されるのか、マロニエ君のような古いタイプの人間には今時の世の中の価値観やシステムそのものが、ますますもって難解でわからなくなる気がするばかりです。