塗装は下地

このところ、シュベスターの外装の補修をお願いしてある関係で、毎週のように工房へ通っていますが、お忙しいようで作業は思ったりもスローテンポです。

以前も書いたように、その塗装工房は運送会社の倉庫の一角にあるため、そこに行くには冷え切った倉庫の中を通り抜けていくことになります。
しかもマロニエ君が行くのはだいたい夜なので、人気もほとんどなく、照明の絞られた巨大空間の中には、おびただしい数のピアノが仮死状態のようにしてやたら並んでいます。
それらが次の買い手を待っているのか、どういう今後が待っているのかわからないけれど、いずれにしろ普段はなかなかお目にかかることのない独特な世界であることは確かです。

ピアノとピアノの間は、人がなんとかひとり通れるようになっており、それらの間を進んで倉庫の片隅にある塗装工房へ到達するという感じです。

ここで、わがシュベスターは長年の間についてしまった小キズなどを修復され、少なくとも見た目は新しく生まれ変わろうとしているわけですが、手がけてくださる職人さんは日中は調律師としてのお仕事をこなされ、夕方以降ここに来て木工や塗装のお仕事をされているので、毎日朝からそれだけに専念できる場合と違い、作業は少しずつしか進みません。

しかも、ピアノ専門の木工職人というのは、本当に稀少な存在なのだろうと思います。
とくに現在お願いしている方は「塗装や木工もできる」というようなレベルではなくて、それ自体がかなり得意でお好きのようで、こだわりをお持ちのようでもあり、全国の木工の競技会のようなものにもしばしば出場されては、なにがしかの賞をいつもとっておられるような方なので、ピアノの整備の延長作業として塗装も覚えましたというたぐいの方とはかなり違うようです。

だからなのか、話を聞いていると、現在こちらの分野で抱えておられるピアノの数だけでも30台近い!のだそうで、その「混み具合」には思わずのけぞってしまいました。しかも先述したように、昼は調律をしながら夜は木工塗装という兼業なので、作業の進捗も思うようにはいかないだろうと思います。
とくに塗装は天候にも左右され、乾くのを待つ時間も必要となるため、普通の作業のように根を詰めればよいというのではないところがデリケートで難しい部分のようでした。

マロニエ君のシュベスターも、まず最初の2週間ぐらいは放ったらかしにされ、先日ようやくにしてピアノ本体が作業エリアに移動され、あちこちに散見される小さな凹みなどの傷を埋めるパテの作業がやっと始まりました。
それから1週間後に行ったら、左右の腕(鍵盤両脇のボディの部分)の部分から足にかけての塗装までが終わっていて、その美しさにはおもわず目をパチクリさせてしまいました。時間はかかるけど、非常に丁寧で、良心的な仕事というのは専門知識のないシロウトが見てもわかりますね。

さらに嬉しかったことは、ピアノの年代に合わせて塗料もラッカー系のものになるので、プラスチックの樹脂をドロリとかぶせたようなポリエステル系の陶器みたいなつるつるの感触ではなく、そこになんともいえない木で作られた楽器といった風合いが保たれていることでした。

ここまでくるのに、倉庫到着からすでにひと月近く経ったような印象。
塗装というのは、塗り始めたら早いらしいけど、その前段階の下処理は何倍も大変で、これは車でも何でも基本は同じのようです。

次は、このピアノの中で最も難所とされる鍵盤蓋の補修と塗装で、ついにその段階を迎えつつあるという感じです。
マロニエ君の買ったシュベスターは、50号という最もシンプルなデザインのモデル(それが気に入っている)ですが、濃い目のマホガニーであるぶん暗い色調の中へ沈み込んだように木目があり、それを損なわずに悪いところを剥がしていくのが至難の業だとのこと。

しかもこの鍵盤蓋は、閉めた状態の外側の部分にかなりひどい傷みがあり、部分的に好ましくない補修をしたらしい形跡があるとかで、それがさらに作業を厄介にしているようでした。
いよいよ今週はその作業に入るとのことだったので、予定通りに行けば、果たしてどんな仕上がりになるのかわくわくです。

それにしても、一口にピアノ運送業といっても、そこそこの規模になると、大型のトラックが何台も控えていて、夜遅くでも出発したり到着したりという動きがあるのは、まさにピアノの物流基地というか、それが夜ということもあってかどことなく幻想的な感じがあるものです。
これだけの数のピアノが昼夜を問わず行交う中から、個々のピアノがそれぞれのオーナーのもとへと届けられるということは、なんだか不思議で、楽器と人が「赤い糸」で結ばれているんだなあという気がしてしまいます。