日時計の丘という小さなホールが主催しているJ.S.バッハのクラヴィーア作品全曲連続演奏会。
その第9回を聴きました。
演奏は初回からお一人でこの偉業ともいえる連続演奏を続けておられるピアニストの管谷怜子さん。
この第9回では、イギリス組曲の第4番と第6番、ブゾーニ編曲のファンタジー、アダージョとフーガとシャコンヌが演奏されました。
これまでのコンサートでは、このホール所有で製造から100年を超すブリュートナーが使われていましたが、今回はブゾーニ版のシャコンヌの音域の関係などから、管谷さんご自身が所有されるシュタイングレーバーのModel168を運び込んでの演奏会となりました。
こだわりのピアノをわざわざ運び込んで行なわれるコンサートというのは、ホールの大小にかかわらず、そう滅多にあることではありません。
もともと日時計の丘はとても響きの素晴らしいスペースでしたから、そこで聴くシュタイングレーバーとは果たしてどんなものか、その点でも非常に期待をそそるコンサートでした。
シュタイングレーバーはドイツ・バイロイト生まれの銘器ですが、生産台数が少ないことや渋い音色、いわゆる商業ベースに乗った売り方をしていないためか、一般にはあまり知られていないけれど、世界最高ランクのピアノのひとつに叙せられるメーカーです。
サイズからいうと、数字が示す通り奥行きが168cmというのはグランドピアノとしても小型の部類で、ヤマハならC2よりも短いにもかかわらず、アッと驚くようなパワフルな鳴り方には、さすがに目を見張るものがあります。
まさに生まれながらに豊かな声量をもった特別な楽器というべきでしょう。
ここのブリュートナーが艶やかな中にも可憐に咲く水仙の花のような音であるのに対して、シュタイングレーバーはさすがバイロイトの生まれだけあってか、まさにワーグナーの歌手のような底知れぬスタミナをもった強靭なドイツピアノでありました。
シャコンヌでしばしば出てくる重音のフォルテッシモでは、この小さなホールの空気がしばしば膨張するようでした。
優れた楽器は演奏者を変えるという側面があるのか、管谷さんの演奏もこのピアノを日頃から弾いておられるせいなのか、年々パワフルになり、演奏の方向性すら少し変化してきたのでは?と感じるのはマロニエ君だけでしょうか。
激しいパッセージなど、目を閉じて聴いていると、シュタイングレーバーの逞しい鳴りと相まって、とても女性ピアニストが弾いておられるとは思えないような、まるで体が後ろへ押されるような圧倒的な音圧を何度も感じたほどです。
ピアニストとピアノの実力については十分堪能できたけれど、少し残念だったのは、今回の演奏会に合わせたピアノの調整が未完であったことで、もっと時間をかけて精妙適切な音作りがなされていたなら、さらに素晴らしい音を響きわたらせることができただろうと、この点はやや悔やまれました。
マロニエ君はシュタイングレーバーというピアノは関心を持って久しいし、CDなどもそれなりに何枚ももっているけれど、もう一つこれだという自分なりに音(ピアノの声)の特徴が掴めていないというのが正直なところで、これはひとえに自分の経験不足故と思われます。
調律師さんによれば、ずいぶん巻の硬いハンマーとのことで、実際かなりエッジの立った音でしたが、これだけ基礎体力のあるピアノなのであれば、むしろもっと弾性のあるハンマーであったらどうなのだろうと思ってしまいます。あたかもバイロイト祝祭劇場がオーケストラを舞台下に配置するように、むしろ間接的でやわらかな奥行きある響きを得たら、ある種の凄みのようなものが出てくるのではないかと思いました。
終演後、ここのオーナーの計らいで、せっかくなのでシュタイングレーバーとブリュートナーの聴き比べでもらいましょうということになり、管谷さんが同じ曲をそれぞれのピアノで弾いてくださいましたが、同じドイツピアノといってもまったく別のものでした。