寂しい時代

何とはなしに、ちょっとしたことで「寂しい時代になってきたなあ」と思うことがあります。
一例が、いろいろな店舗の夜の営業時間、とくに(アルコールを伴わない飲食とかファミレスの)深夜営業を売り物にしていた飲食店などの営業時間が軒並み短くなっていくことや、夜、気軽に車で行ける書店がどんどん減ってきていることなどにそれを感じます。

ロイヤルホストなどは、以前なら24時間営業も珍しくなかったのに、今では(例外はあるのかもしれませんが)基本0時閉店ということになってしまったようです。
これには今の世相というか、人々の生活パターンの変化が深く関わっているのは明らかでしょう。

名前を出したついでにいうと、土日のロイヤルホストなど夕食時間帯に行こうものなら、それこそ入口のドアから人がもりこぼれそうなほど順番待ちのお客さんで溢れかえり、名前を書いて席が空くのを満員電車よろしく待たなければなりませんから人気がないわけではない。
そかし8時過〜9時あたりをピークに一気に人が減り始め、10時を過ぎる頃にはさっきまでの喧騒がウソのようにガラガラになってしまいます。

車の仲間のミーティングなどでは、ファミレスは時間を気にせず雑談できる不可欠の場所だったのに、少し遅くなるとついさっきまでざわざわしていた店内は途端に潮が引いたように空席が目立ち、閉店時間が迫ると残りの僅かな客は一斉に追い出されてしまうようになりました。

マロニエ君の世代の記憶でいうと、以前は深夜の時間帯はもっと世の中に活気やエネルギーがあふれていました。
とくに若い人は夜通し遊ぶというようなことは平気の平左で、各々なにをやっていたのかはともかく、明け方に帰るなんぞ朝メシ前でしたし、当時の中年世代だってもっとエネルギッシュだったように思います。

過日、連休で遠出をしたところ終日猛烈な渋滞に遭い、疲れてボロ雑巾のようになって帰ってきたことを書きましたが、それほど日中の人出はあるのに、ある時間帯(おそらく8時から9時)を境に、動物が巣穴に戻るように人はいなくなります。
以前より、明らかに早い時間帯に、当たり前のように帰宅の途に就くのが社会風潮化しているよう思われます。

昔は厳しい門限なんかを恨めしく反抗的に思うことがあったのに、今じゃそんなものはなくても、自然に、ひとりでに、申し合わせたようにさっさと帰って行ってしまう真面目ぶりには驚くばかりです。
それだけ、夜の外出が楽しくないこともあるしでしょうし、翌日に備えるという配慮も働くというのもあるでしょう。あるいは体力気力おサイフの中も乏しいのかもしれませんし、それ以外の複雑な要因もあるのかもしれませんが、とにかく世の中全体に元気がなく、まるで社会そのものがひきこもりのような印象を覚えます。

深夜まで出かけるというのは、基本的には相手あってのことで、今時のように人と人とが淡白な交流しかしないようになると、わざわざ直接会って歓談し飲み食いする必要も、かなりセレクトされ限定的になるということかもしれません。
現代はある意味、どこか不自然な事情を含みながらの家族中心で、それ以外の交際はずいぶんと痩せ細ったようにも思います。

本屋に話題を移すと、あるのはたいてい同じ名前の店ばかりで、書店と言っても店内のかなりの部分はDVDなどのレンタル部門などが大手を振って、書籍の売り場はずいぶん剥られて肩身の狭い感じです。
置かれている本も、大半が雑誌かコミックか実用書のたぐいばかりで、もう少し本らしい本はないのかと思うのはマロニエ君だけでしょうか。

そんな本棚を見回していると、『自律神経を整えて超健康になるCDブック』というのがありました。
この部分が脆弱なマロニエ君としては、「聴くだけで痛みが消える!極上のリラックスを体感できる!」といった謳い文句に騙されてみたくなり、あえてこれを購入しました。

中には2枚のCDが付属しており、「自律神経を整えるCD」と「マイナス感情を消すCD」というのが付録として綴じ込まれていました。さっそくはじめの1枚を聴いてみましたが、変な電子音とピアノの意味もないようなメロディなどが延々と流れてくるものでした。
ほんのまやかしだとは思うけれど、不思議と聴いていて不快ではないし、万にひとつでも効果があれば幸いとばかりに、昨日からこれを鳴らしているところです。