センスは命

先日のこと、お世話になっている調律師さんからご連絡をいただき、❍月❍日の午後ちょうどついでがあるので短時間だけですが寄りましょうか?というお申し出がありました。

実はこの方、このブログを(こちらから教えたわけでもないのに)読んでくださっているそうで、いぜん「調律が少し乱れてきた…」的なことを書いていたことをちゃんと覚えていてくださったらしく、それを少し整えるために「拾う程度」ですがやりましょうか?ということ。
こちらとしては願ってもないことなので、ありがたくそのお申し出を受けることになりました。

そのあとも別の御用がおありの由で、わずか1時間ほどの作業ではありましたが、ざっと全体を確かめてから、淡々とした調子で整音と調律を必要箇所のみされのですが、こちらからはとくに希望も出さなかったにもかかわらず、あっと驚くような素晴らしい状態に復活ました。

そもそも、この方には高度は技術に加えて「センス」があるのだと思います。
センスというのは持てる技術を何倍にも増幅する力があり、逆にここが劣っているとどんなに良い技術を持っていても最大限それを発揮することはできません。
しかも、これはわざわざ学んだり教えられたりといったことはできないので、いわば天性の領域です。

何かのTV番組でしたが、一人前の鮨職人になるには旧来の徒弟制度のもとで十年ぐらいの厳しい修行に耐えぬくのだそうですが、そんなことが本当に必要なのか?というようなことで意見が戦わされ、個人的に好きではないけれどホリエモンが「そんなのナンセンス、合理的な技術習得と、あとはぜったいにセンスの問題!」と、反対派を押し切って何度も言い張っているのをみたことがありました。

マロニエ君はこの意見に100%賛成するつもりはないし、多くの無駄の中に実は大切なものが多く含まれていると思うのも事実。とくに本物の技術の習得とならんで鮨職人としての精神的成熟には、やはり一定の時間も忍耐もかかると思います。
でも、じゃあそれがすべて正しいのかといえば、そうとも言い切れず、やたら根性論だけをふりかざすのも不賛成で、そこには冷静かつ合理的訓練に加えてセンスがなくては、ただ昔ながらの徒弟制度を通過するだけでは本物の花は咲きません。

ピアノの場合も、どれだけ多くの経験を積み、うんちく満載で、こまかい知識が豊富でも、結果として感銘を与える音、気品と表現力で聴くものを魅了する最上級の音を作ることのできる人は、これまでの経験でもそうざらにおられるとも思えません。
職人としての高度な技術の持ち主、あるいはコンサートチューナーで自他共に一流と認識される方は事実たくさんいらっしゃいますが、それが本当に最高の音や弾き心地、表現力に繋がっているかといえば、必ずしもそうでもないとマロニエ君は思っています。
センスが無い(もしくは足りない)ため、持てる技術を活かしきれていない人は少なくないし、これはいうまでもないことですがピアニストも同様です。

冒頭の方は、たまたまマロニエ君がその店に立ち寄って、そこに展示されていたピアノに触れ、その素晴らしさに感銘を受けたことからご縁ができたことは、以前にも書きました。

初めて我が家に来られたときに、いきなり「❍❍さん、マロニエ君でしょう?」と言われときは、思いがけず正体をあっさり見破られたようで肝をつぶしましたが、その後もプロの調律師の方がこんなくだらないシロウトの戯言に目を通してくださっているなんて思いもよりませんでした。

たしかにブログはネット上に存在するものなので、どこの誰がどんな気持ちで読まれているかわかりません。
普段はただ漫然と思ったままを書いているだけですが、つい先日もある方からメールをいただき「❍月❍日と☓月☓日の記事はそれぞれやや内容に重複があるような気がしますが…」などと指摘されたりして、いまさらながら心しなくてはならないと思いを新たにしました。

話は逸れるようですが、車やバイクのエンジンオイルというのは、一定期間/距離に応じて交換します。その際、全部交換するに越したことはないのですが、急場しのぎには、そのうちの1Lだけでも新油に入れ替えると、全交換した時とほとんど遜色ない良いフィールが蘇るというのはモータリストの間ではそこそこ有名な話です。
もしかしたらピアノも同様で、今回のわずか1時間の調整でこれほど劇的に変化したということは、「神は細部に宿る」のたとえの通り、良い状態というのはそれほど僅かで微妙なものが大事な鍵を握り、良否を左右するという一面があるのではないかと思いました。

短時間の整音と調律の結果、気品としなやかさとブリリアンスが見事に並び立った、まるでCDから聴こえてくる音そのものみたいになっていて、これじゃあマロニエ君の下手な弾き方ではあまりにもったいなくて、却って思い切って弾けません。

かように音に対するセンスというのはその人固有もので、美とバランスの感覚の問題です。
きれいでもあまり小細工や苦労のあとが見えるもの、主張の強すぎるもの、ひとりよがりなものはマロニエ君は好みではなく、あくまで自然で労少なくしてさらりと出来上がったような感じのする最高のもの、これこそが好みです。