忘れていた新進気鋭

少し前のことでしたが、イタリアの新進気鋭ピアニストということで、ベアトリーチェ・ラナという女性によるゴルトベルク変奏曲のCDを購入しました。
レーベルはワーナークラシックス。

聴いた感想を書かなかったのは、わざわざ書くべきことがマロニエ君としてはあまり見つからずじまいだったから。
至って普通で、今風で、正確で、とくに何かを感じることもないままキチッと弾き進められて行く感じがするばかりで、印象深いところがなにもなかったからでした。
もちろん、いまどきメジャーレーベルからCDを出すような人でもあるし、2013年のクライバーンコンクールで第2位になった人らしいので、テクニックはそれなりのものがあるし、ましてセッション録音なのでキズもミスもなく、演奏というより、どこかいかにもきれいに出来上がった商品という印象でした。

ディスコグラフィーを見ると、チャイコフスキーの1番やプロコフィエフの2番、あるいはショパンの前奏曲やスクリャービンの2番のソナタなどがあるようで、そこでどんな演奏をしているかはわからないけれど、少なくともこのゴルトベルクで聴く限りは、どちらかというと細い線でデッサンしていくような演奏で、イヤ味もないし、いちおう要所要所でメリハリも付けることを忘れていない人という感じでした。
少なくとも強烈な個性とか強い魅力で聴かせるタイプではなく、いかにも国際コンクールに出て成績優秀、最終予選までは残っても、第1位にはならない人…そんな感じといったらいいでしょうか(実際の戦歴は知りませんが)。

そんな印象だったので、名前さえすっかり忘れていたところ、少し前のNHKのクラシック音楽館でN響定期のソリストとしてこの人の名前が出てきたので、そのとき「どこかで見たことのある名前」という感じでやっと思い出しました。
クライバーンコンクール入賞者として、各地各楽団から呼ばれる名簿に入っていて、こうして世界を回り始めているのかもしれません。

曲はベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番でしたが、ライブだけにゴルトベルクとはずいぶん印象の異なる、この人の素の姿を見聞きすることができた気がしました。
説明的であったり構成感をもって弾くタイプではないようで、どちらかというとテンポ感とセンスを前に出す感じ。
指の動きはいいようで、そこを活かしてサラサラと演奏は進み、ところどころに多少の解釈というかデフォルメ的なものも織り込まれているけれど、マロニエ君の耳にはそれがあまり深い説得力をもっては聴こえなかったし、場合によっては浅薄なウケ狙いのような印象さえ持ってしまいました。

仕事も恋愛も確実にゲットして、あたり構わず巻き舌の早口で喋る今どきのデキる女性みたいで、その点ではゴルトベルクでは、ずいぶん慎重にきちんと弾いたんだなぁ、ということが察せられました。
ただ、ピアニストとしての器としてはさしたるサイズではないという感じをうけたことも事実です。

事前にインタビューがあったけれど、指揮者のファビオ・ルイージ氏とは、とくにこの曲ではリハーサルが必要ないほど何度も共演しているが、そのたびに新しい発見があります…と、マロニエ君としては聞いたとたん引いてしまう紋切り型の例のコメントがこの人からも飛び出したときは思わずウンザリしました。
なぜ、みんなこの手垢だらけの言葉がこうも好きなのか、聴衆に対して、同じ曲を何度も演奏することに対する言い訳の一種なのか…。


テレビといえば、題名のない音楽会で反田恭平氏が出る回を見ましたが、シューマン=リストの献呈以外は、パーカッションとのコラボという試みでした。
彼は国際的にはどうなのかは知らないけれど、少なくとも日本国内ではベアトリーチェ・ラナよりは数段上を行く「新進気鋭」で、そんな注目のピアニストが従来通りの決まりきった演奏を繰り返すだけなく、新しいことに挑戦することは素晴らしいことだと思います。

…それはそうなのだけれど、このときやっていることそのものには大いに疑問符がつきました。
ラヴェルの夜のガスパールからスカルボを演奏するにあたり、パーカッションと組んでの演奏で、しかもピアノの内部(弦の上)には定規や金属の棒のようなものをたくさん散りばめて、チンジャラした音をわざと出し、パーカッションとともに一風変わったスカルボにしていたのですが、これがマロニエ君には何がいいのやら、さっぱりわからなかったし、正直言って少しも面白いとは思いませんでした。

保守的な趣味と言われるかもしれないけれど、個人的にはやはりどうせなら反田氏のソロだけで聴きたかったし、そのほうがよほどスカルボの不気味さがでるだろうと思えてなりません。
それはそれとして、折々に映しだされる反田氏の秀でた手の動きは、やはり見るに値するものがあり、ほどよく肉厚な大きな指が苦もなく自在に鍵盤上を駆けまわるさまは、見ていて惚れ惚れするというか、なにか胸のつかえが下りるような爽快感があります。

若いテクニシャンでならすピアニストでも、手の動きとか使い方に関しては、個人的にユジャ・ワンのどこか動物的な指よりは、反田氏の手のほうがずっと心地よい美しさを感じます。