ラフマニノフは決して嫌いな作曲家ではないけれど、ピアノのソロの作品を続けて聴いているといつも同じ気分に包まれます。
先日もCD店に行った折、なつかしいルース・ラレードのラフマニノフの全集がボックスで出ていて、しかも今どきの例に漏れず非常に安く売られていたので購入しました。
LPの時代にこつこつ1枚ずつ買い集めたものが、今はこうして1/10ほどの値段で一気に苦労もせずにゲットできるのは、ありがたいようなつまらないような、ちょっと複雑な気分が交錯します。
CDでは5枚組みですが、記憶が正しければ、LPではもっと枚数があったと思ったけれど、内容が減らされた感じもなく、CD化にあたり1枚あたりの収録時間の関係で枚数が少なくできたのかもしれません。
ルース・ラレードはとくに好きというほどのピアニストではなかったけれど、当時はまだ一人のピアニストが一人の作曲家に集中的に取り組み、その作品を網羅的にレコーディングするということが非常に少なかったし、とりわけラフマニノフの多くの作品を音として聴くには彼女ぐらいしかなかったという事情もあったように記憶しています。
LPの時代からそれほど熱心に聴いていたわけではなかったけれど、いざ音を出してみると、ひと時代前の演奏、すなわちどんなテクニシャンであってもどこかに節度と柔らかさと演奏者の主観が前に出た演奏で、いまどきの過剰な照明を当てたような演奏とは違い、なにかほっとするものを感じました。
ただ、冒頭の話に戻ると、ラフマニノフのソロのピアノ作品だけを続けざまに聴いていると、良い表現ではないかもしれませんが「飽きて」くるのです。
例えば前奏曲なども、どれも中途半端に長いし、重いし、ひとつ終わったらまた次のそれが始まるといった感じで、音楽というよりはなにか建築家の作品を次々に見せられるようで、だんだん疲れてきます。
エチュードタブローなども同様で、最後まで一定の集中力を維持しながら聴くのがちょっと辛くなります。
ちょっと集中して聴く気になるのはソナタぐらいで、ソナタは有名な第2番はむろん素晴らしいし、普段ほとんど弾かれない第1番も面白いし、ショパンの主題による変奏曲などもすきな作品と感じます。
というわけでせっかく買ったルース・ラレードも、3枚聴いてまだ残り2枚は手付かずで聴いていません。
そこで、演奏者を変えたらどうだろうと思い、手短にあるもので探して、ルガンスキーの前奏曲集を聴いてみましたが、やはり結果は同じでなんか途中でどうでも良くなってくる。
とくにルガンスキーは曲を変な言い方ですが、くちゃっとまとめすぎて、ラフマニノフ特有の雄大さや余韻のようなものを残してくれない気がします。
そういえば以前NHKのスタジオだったか、ジルベルシュタインがやはりラフマニノフだけを弾いたことがありましたが、この時も一曲終わって次が始まるたびに、なんだか疲れが出てしまうようで、とうとう最後まで見きれずに終わったこともありました。
でも繰り返しますが、ラフマニノフが嫌いなわけではないのです。
これはなんなのかと思います。