天才現る!

最近見たテレビの音楽番組の録画から。

BS朝日の『はじめてのクラシック』で、わずか13歳の奥井紫麻(Okui Shio)さんのピアノで、グリーグのピアノ協奏曲が放送されました。
共演は小林研一郎指揮の新日本フィル。

現在モスクワ音楽院に在籍中で、ヨーロッパのオーケストラとはたびたび共演しているようですが、日本のオケとは初めてとのこと。
音楽の世界での「天才」の二文字は、実は珍しくもなんともないもので、特にソリストの場合は天才だらけと言っても過言ではないために、その演奏を聴いてみるまではマロニエ君は何ひとつ信じないようになっています。
天才といっても、天才度の番付はいろいろあるわけで、我々が求めているのはその十両クラスの天才ではなく、いってみれば何年にひとり出るかどうかの天才なんです。
そして、この奥井紫麻さんは、横綱級かどうかはともかく、かなりの上位に入る天才だと思いました。

リハーサルの様子も少し放送されましたが、これは本物と思わせるだけのオーラと、しっかりと筋の通ったぶれない音楽がそこに立ち上がっているのを忽ち感じました。
案内役の三枝氏が「ピアノを習い始めてわずか6年ほどでこれだけ弾けるんですから、嫌んなっちゃいますね」というようなコメントを述べましたが、たしかにその通りであるし、逆にいうとそれぐらいでないと真のソリストとしてはやっていけないほど強烈に狭き門であるのが演奏家の世界だろうとも思います。

身体も指も、まだ細くて華奢な子供であるし、ピアノの音も充分に出てはいないけれど、彼女の演奏に宿る集中力と、切々とこちらに訴えてくる音楽には、常人ではあり得ない表現と落ち着きがありました。特別変わったことをしているわけではないのに、心へ直に訴えくてくるものがあるのは、それが本物である故でしょう。
ただ指が正確によく回って、書かれた音符をただ追っているのではなく、音楽の意味するものがすべてこの少女の全身を通過し、その感性で翻訳されたものが我々の耳に届いてくるのですから、これは凄いと思いました。

リハーサルの様子からインタビューまで整えられていざ迎えた本番だったのに、なんたることか、いよいよ放送されたのは第1楽章のみで、それはないだろう!と心底がっかりしました。
これだけ大々的に紹介しておきながら、一曲全部も通すことなく終わり、あとはオケが展覧会の絵かなにかやっていましたが、憤慨しまくってそれ以降はまったく見る気になれませんでした。

これまでにも、天才だなんだと言われた日本人ピアニストは何人もいますが、その演奏はスカスカだったり、ピアノと格闘しているようだったり、聴いてみるなり興味を失うような人が大半です。
奥井さんは、それらとは明らかに違ったところで呼吸しているようで、落ち着きや、演奏から伝わる真実性、品位、老成など、わずか13歳にして、もっと聴いてみたいと思う存在でした。

もうひとつは、おなじみEテレの『クラシック音楽館』で、デトロイト交響楽団の演奏会がありました。
アメリカ音楽によるプログラムで、指揮はレナード・スラットキン。
この中にガーシュウィンのラプソディ・イン・ブルーがあり、ピアノはまたしても小曽根真氏。

やはりこの人の演奏のキレの悪さはかなり目立っていて、本来コンサートの中頃に登場する協奏曲では、アメリカ作品、ジャズピアニスト、おまけに超有名曲という要素があれば、プログラムとしてもまさに佳境に差し掛かるところではありますが、小曽根氏は笑顔は印象的だけれど、そのピアノには独特の鈍さと暗さがあり、聴けば聴くほどテンションが落ちてくるのがどうにもなりません。

とくにこの人が随所で差し込む即興は、その前後の脈絡もなければ才気も感じられないもので、いつも時間が止まったように浮いてしまっているし、ジャズの人とは思えぬほどリズム感があいまいで、妙な必死さばかりが伝わります。あちこちでテンポや強弱がコロコロ変わるのも意味不明で、オーケストラもかなり皆さんシラケた表情が多く、こういうときは外国人のほうがストレートに顔に出るんだなあと思います。

演奏前にスラットキンと小曽根氏の対談がありましたが、スラットキンは小曽根氏持ち上げるばかりだし、小曽根氏も相手がマエストロというより音楽仲間といったスタンスでしゃべっていました。
驚いたのは小曽根氏が「ラプソディ・イン・ブルーでの僕の最大のチャレンジはカデンツァ(即興のソロ)を面白くするためにいかに自分を鼓舞するか。それも無理しているように聞こえたらダメで…」というと、すかさずスラットキンが「自然でなければならない」と言葉をつなぐと「そう!」と小曽根氏。
トドメは「(自然なものでなければ)作品からかけ離れてしまうし、聴衆やバンドをほったらかしにしてしまう」とまでコメント。

これって、「すべてが逆」に聴こえてしまったマロニエ君には、自分のやっていることは「面白くて」「無理してなくて」「自然で」「作品から離れず」「聴衆やオケをほったらかしにしない」し、そのあたりはよく心得ていて、その上での演奏なんですよというのを、演奏前にしっかり言い訳していたように思えました。