中国の才能

最近、YouTubeでたまたま知ることとなったピアニストにジョージ・リーという若者がいます。

1995年生まれということですから、現在でも21~22才という若さです。
ボストン生まれのようですが、その名前や容姿からもわかるように明らかに中国系のピアニスト。

YouTubeで見たいくつかの演奏は、まだほんの子供のときのものでしたが、おかっぱ頭にメガネを掛けて、全身をうねらすように曲の波に乗っていて一心不乱に演奏している姿が印象的でしたし、演奏そのものも抑揚や流れがあって好印象でした。
さらに成長して思春期ぐらいになった映像では、その演奏はより精度が増しており、これはもう疑いなく天才のひとりだということがわかりました。
呆れるばかりに指が回って、どんな難所でもらくらくと技巧が乗り越えていくテクニックにも目を丸くしました。

きっとこれから名だたるコンクールなどに出場して、上位入賞を果たすのだろうと思っていたら、すでに2015年のチャイコフスキーコンクールに出場し、まるで格闘家のようなゲニューシャスと2位を分かち合っていることを知り、それはそれは…と納得。

少なくともラン・ランなどより音楽は柔軟で密度があり、音にも一定の重みがあるけれど、今のピアニストに求められるものは音楽性や解釈だけでなく、
チケットの売れるタレント性みたいなものが重要視されるようなので、その点を含めると彼がどのへんまで行くのかわかりませんが、とにかく中国人もしくは中国系のピアニストの「大躍進」は目を見張るものがあります。

で、CDをまとめ買いする際に──ずいぶん迷ったあげく──このジョージ・リーのアルバムを1枚加えてしまいました。

昨年ロシアのサンクトペテルブルクでライブ録音されたもので、ハイドンのソナタロ短調、ショパンのソナタNo.2、ラフマニノフのコレルリ変奏曲、リストのコンソレーションとハンガリー狂詩曲No.2といういかにも系のプログラム。

個人的には冒頭のハイドンが好ましく思えたものの、全体としては印象に残るほどの個性はなく、どれもが平均して真っ当に準備され、クセもキズもない中であざやかに弾き通された演奏という感じでした。
並外れた才能とテクニックがあって、一流の指導者から高度な教育を受け続けることを怠っていなければ、きっとこんなふうになるだろうという想像の枠内に収まった演奏で、彼の音楽的天分というか個性という点に関して言うなら、それは超弩級のものではなく、あくまでも「並」だというのがマロニエ君から見ての正直なところ。
それでも天才であることに間違いはないのですが。

ショパンでは本来求められるセンスというよりはコンクール向きだし、リストのハンガリー狂詩曲No.2などは、ちょっとやり過ぎな感じ。

中国系ピアニスト全般に共通して感じるのは、音楽に憂いや内面の複雑なものが湧き上がってくるところがなく、表現がどうしても表層的で奥行きがないことでしょうか。
何を弾かせてもあっけらかんとしていて、どうしてもテクニック主導になっているし、途中までせっかくいい感じで進んできたものが、例えばスタッカートに差し掛かると、いきなりトランポリンみたいなスタッカートになって曲調が崩れたりするのが、聴いていて非常に残念な気がします。
表現も陰翳に満ちたルバートなどとは違って、歌謡的なフレーズの緩急のみで処理されてしまう。

もうひとつ特徴的なのが彼らの「間」の取り方。
超絶技巧の難しいパッセージなどでは問題ないけれど、この「間」が前後を隔てたり対照をなしたり橋渡しをしたり、さまざまな意味を成すところになると、多くが大仰な京劇のようになり、芝居がかった感じになってしまうことが耳につきます。
しかも、我々に比べてもその民族性の違いは甚だ大きく、大胆なまでに中華風になってしまうのがいつもながらのパターンで、これを感じると一気に興味を失ってしまいます。

これをあまり感じず、いい意味での中国風でないピアニストとしてある種の洗練を感じていたのは、唯一ニュウニュウでしたが、このところめっきり彼の動静を聞かなくなりました。