ゴルトベルク演奏会

山田力さんという地元のピアニストによる、バッハのゴルトベルク変奏曲のコンサートに行ってきました。
自らバッハをこよなく愛するピアニストと公言される方で、この数年間というものオールバッハプログラムのコンサートを継続して開催されているようです。
冒頭まずフランス組曲第5番が弾かれたのち、すぐに15分の休憩となったのは、この日のメインがゴルトベルク変奏曲という長大な作品であるため、演奏者/聴衆にとって、それぞれ指慣らし耳慣らしの効果もあったようです。

その後いよいよゴルトベルクが始まりました。

マロニエ君の記憶が間違いでなければすべてのリピートを敢行され、その演奏時間は80分ほどに及びましたが、いまさらながらバッハの偉大さ、さらにはこの特異な作品の偉大さを、二つながら再確認することになりました。
くわえて、しみじみと実感することになったのは、この孤高の大曲をステージで演奏することの大変さです。
聴くほうはあまりにも馴染み深く、あまりにも美しい曲であるため80分という時間がサーッと流れ去ったようでしたが、演奏者においてはおそらくその限りではない筈で、これを通して弾くというのは並大抵のことではなく、最後のアリアが鳴り終わったとき、心から「お疲れ様でした」と一礼したいような気持ちになりました。

本来なら演奏を終えたピアニストに対して少しピントのずれた感想だったかもしれませんが、ゴルトベルク変奏曲を聴衆を前に一気呵成に演奏するということは、まるで禅僧が厳しい修行へと身を投じて事を成し遂げるような、上手くは言えないけれどそういった我が身と精神を敢えて追い込み、その果てにある何かを捉えようとするような、少なくともただピアノを弾くということとは少し違う意味合いも含んだ独特な行為のようにも感じました。

普通のソナタや組曲と違い、変奏曲というものがもつ切れ目のない継続性、始まったらそのまま息つく暇もない一幕物のオペラのような絶えざる緊張、それに伴う心身の消耗や忍耐など、美しい音楽とは裏腹に演奏者へ容赦無く襲いかかる苛酷さみたいなものがひしひしと伝わり、やはり「お疲れ様でした」という気持ちになってしまうのでした。

山田さんの演奏で印象深かったことは、バッハに対する特別なリスペクトと情愛がストレートに伝わる点。
近頃では精巧な機械のように動く指を武器に、何かのコピペのような無機質な演奏をやってみせる若手が多くてうんざりさせられることの多い中、山田さんの演奏はまさに一期一会の肉筆画が描かれていくようで、肌で聴く味わいがありました。

また現代のコンサートピアノの性能は十全に活かしつつも、ペダルはほとんど使われないスタイルを貫かれ、清々しい真剣勝負に立ち会っているようでもありました。
ずっと足下を凝視していたわけではないので見落としもあるかもしれないけれど、最後のクォドリベッドに至ってようやく右ペダルを少しだけ踏まれたとき、まさに万感の思いへと立ち至るようでした。

昔は同曲のピアノによる録音といえば、いきなり金字塔を打ち立てたグールドはじめ、テューレックやケンプなど数えるほどだったものが、最近では実に多くのピアニストが次々にこれを弾くようになり、マロニエ君も懲りずにかなり買い込んでいるところですが、CDの数に比べてこれをコンサートでやろうという人は実はそれほど多いという印象には至っていません。
録音なら各変奏ごとにいくらでも録り直しがききますが、聴衆を前にしたいわば一度きりの挑戦ともなると状況は一変するためか、それほど実演機会が多くはないようです。

CDといえば、時期を隔てて二度目の録音するピアニストも多く、ぱっと思いつくだけでもグールド、シフ、シェプキン、シャオメイ、メジェーエワなどの名が浮かびますが、メジェーエワの新録音は今回の山田さんと同じく、すべてのリピートを弾いている由で、こちらのCDはまだ未入手ですが、やはりCD収録時間ぎりぎりの約80分とのこと。

また、シャオメイの名を出して思い出したのは、CDではまことに慈悲深い見事な演奏をやっていますが、いつだった北京のホールで行われたライブ映像では、かなりの乱れなども散見され、この緻密な織物のような大作をステージ上で御することの難しさを痛感したこと。

まさに音楽の巨大な世界遺産のひとつでもあるし、鍵盤楽器のための美しすぎる受難曲のようでもあり、とても素人が生噛りできるようなものではありませんが、「弾ける方」にとってはこれほど挑戦しがいのある作品もないでしょうね。