現在お付き合いのあるピアノ愛好者の中には、いろいろな変わり種がおられるというか、みなさんすこぶる個性的で、何らかのかたちで独自の世界や趣向を持っておられます。
そんな中のひとりは、音楽歴史上、無名とまではいわないものの、一般的にはそれほど知られていないマイナーな作曲家の作品に強い興味がおありで、CDはもちろん楽譜まで取り寄せて自分で弾いてみて、それらの作風や特徴を通じながら、音楽の歴史や変遷を独自に楽しんでいる人がおられます。
先日久しぶりに我が家にいらっしゃいましたが、その際にフンメルのピアノ協奏曲を中心とするCDのコピーを6枚ほどプレゼントしていただきました。
フンメルはベートーヴェンよりもわずかに年下であるものの、ほぼ同時代を作曲家兼ピアニストとして生きた人で、当時はかなりの人気を博した音楽家のようです。
その知人の「おもしろいですよ」という言葉のとおり、どの曲を鳴らしてみても、初めて聞くのに「あれ?あれれ?」…随所になんか聞いた覚えのあるようなメロディや和声や、もっというなら全体の調子とか作風が、モーツァルトやショパンをストレートに連想させるようなものばかりでした。
モーツァルトの生きた時代までは、作曲家というか芸術家はおしなべて貴族お抱えの身分であったのが、市民社会の勃興によって音楽がより広い大衆の娯楽となり、一気に自由を得、裾野を広げます。一方でベートーヴェンなどが純粋芸術としての作曲を始めたというのもこの時期からで、その手の話はよく耳にしますね。
市民社会ともなると、現代にも通じる「人気」というものが重要不可欠の要素となり、大衆を喜ばせるための工夫やニーズが大いに取り込まれていることがわかります。
現代のように音楽市場が広範ではないためか、当時の作曲家のはそれ以前の楽曲の作風をひきずりながら、娯楽性や人々の好みを念頭に置きながら作曲をしていったのだろうと思われるフシが多々あって、純粋に音楽を聞くというよりも、当時の時代背景や大衆娯楽の有り様を覗き見るような楽しさがありました。
とくにモーツァルトのピアノ協奏曲からのパクリ(といって悪ければ流用?)は思わず笑ってしまうほどで、現代で考えればよくぞこんな手の込んだ仕事を真面目にやったもんだと呆れつつ、もしかしたら今なら著作権法にひっかかるのでは?というほど危ない箇所もあり、むかしはおおらかな時代であったことも偲ばれます。
こういう曲はあまり深く考えず、笑って聴いておけばいいのだと思いました。
どの曲も調子が良くてきれいで、すぐに耳に馴染んで楽しめるもので、それが当時の大衆の要求だったんでしょう。
おそらくは、この手の曲が次々にファッションのように作られては上演され、言い換えるなら消費され、忘れられていったのだろうと思うと、フンメルの協奏曲などはそれでもなんとかこうしてCDに録音されるぶん、かろうじて消えずに済んだ作品といえるかもしれません。
すっかり忘れていましたが、マロニエ君自身も知られざるロマン派のピアノ協奏曲集みたいな、ボックスCDを購入したことがありましたが、なんか二~三流品を集めて詰め合わせにしたようで、たしか途中で飽きてしまって全部は聴かずにどこかに放ってあると思います。
それほど、この時代(18世紀末から19世紀)はこぞってこういう作品がおびただしい数生み出されたのかもしれません。
それから思えば、現代の私たちに馴染みのあるクラシックの作品は、そんな膨大な作品の中から厳選され淘汰されて、時代の移り変わりを耐え抜いて奇跡的に生き残った、まさに音楽歴史上最高ランクの遺産なんだなあとも思いました。