釈然とせぬまま

早いもので、今年も残すところ2日となりました。

来年はどんな年になるのか、正直を言うと近年あまり明るい希望を感じなくなりました。
むしろ不安要因のほうを多く感じるのは、現実にそういう世の中になってしまっているのか、あるいはマロニエ君のものの見方・感じ方がマイナス思考になっているのか、そのあたりは自分でも正しいところはわかりません。

国際情勢もそのひとつで、某国のミサイル開発が進んでより深刻さを増すとの話もあり、わけても周辺国にも火の粉が及ぶのは御免被りたいもの。
とくに日本は地政学的にもあまりに近い距離にあるし、なにか起こったとなれば、その距離からいってもまったくの無傷というわけにはいかないだろうと考えると、やはり不安は募ります。

どうもここ最近の世の中というのは、あらゆることに安定感というものを欠いている気がしますし、そんな時代に生きている私達も、それを常に感じているためか昔のように無邪気ではいられなくなりました。


最後の最後まですっきりしなかったのは、鳥取巡業中に起きた日馬富士の暴行事件に端を発する、貴乃花と相撲協会との対立問題でした。
これは当初の予想を遥かに超えて、非常に根の深い問題が底流にあるようで、とても簡単には決着しない様相ですね。
28日に行われた臨時理事会では「降格」という結論に達し、年明け4日には評議会にかけられて処分が決定するというもので、一般人の感覚ではまるで釈然としません。

貴乃花が降格だというのなら、事件の現場にいて暴行を止めず、日頃からルール違反ばかりやらかす白鵬にも、あるいはそもそも暴行事件を起こした横綱をそもそも選出した横審も、さらには最高責任者である協会理事長も、各々重い責任が問われてしかるべきでは?

マロニエ君の個人的な印象でいうと、貴乃花はおよそ現代人の感覚からはかけ離れた、いわば江戸時代のストイックな武士が突如として現代に隔世遺伝してきたような人だということ。
とりわけ相撲に関しては徹底した信念のもと、崇高で精神的なものを尊び、そのためには不利な戦いをも辞さない。
損得では決して動かず、世俗的な慣れ合いや堕落を徹底して嫌悪し、それらを容赦なく糾弾するタイプ。

こうと決めたら微動だにしない信念を貫き、孤独に徹し、黙して語らぬその姿はまるで山本周五郎の作中人物でも見ているようです。

いっぽうで、協会は金権力と特権と慣れ合いにどっぷり浸かった肥満組織で、貴乃花の存在は煙たくて、鬱陶しくて、苦々しくて、今流に言うなら超ウザイ存在なのだと思います。
彼には、世間一般でよくある融通とか貸し借りの感覚などもまるで通じず、組織からすればこんなジャマ者はないわけで、ましてやその人物が現役時代の取り口さながらに自分たちめがけてガチンコで挑みかかってくるのだからたまったものではなく、小池さんではないけれど、組織としてはなんとしても「排除」したいのでしょう。

解釈はいろいろかもしれませんが、警察に被害届を提出しながら協会に報告しなかった、協会の事情聴取に対して協力的ではなかったという、このヤミ多き事件全体から見ればほんの一部分をもって処罰の根拠にするあたりは、マロニエ君の目には、都合の悪い反乱分子がほんの微罪でひっくくられてしまうような陰惨な印象が拭えません。

白鵬には遠慮してなんら実効性のある処罰を言い渡すことのできない弱腰の協会が、目障りな貴乃花に対しては、被害者側の親方であるにもかかわらず、断固として処罰対象にされ、今回の事件関係者の中で最も重いとされる処分を与えるというのは到底納得の行かないことでした。

はてさて決着はいつになることやら、テレビでは「もうこの話題はウンザリ!」などという人もいるけれど、マロニエ君には久々に目の離せぬ真剣勝負を見せてもらっている気分で、集団イジメでしかないお偉いさん達のほうがよほどウンザリです。
なんだか以前も似たような組織があったと思ったら、ああそうか…かつてのドン率いる東京都議会でした。


最後にピアノの話題でいうと、ちょっと奇異に感じたのは、12月の中旬からクリスマスぐらいのわずか10日ほどの間に、民放BSで1回2時間におよぶ辻井伸行のドキュメントがゴールデンタイムに実に3回も!(内容は異なる)放送されたこと。
彼が天才であることは間違いないし、クラシックのピアニストを主役とするドキュメンタリーが作られることはピアノファンとしては嬉しいことではあるけれど、辻井さんばかりがこれほど別格的に取り上げられるのは、いささか過剰なのでは?
なんだかとっても不思議でした。

明日は大晦日。
良いお年をお迎えください。