静かな変化

今年の元日はとくに予定もないから、せめて普段の昼間できないことをやろうと洗車をしました。

我が家のガレージはいちおうシャッターで閉じるため、車が直射日光や風雨にさらされることからは免れていることもあり、洗車はだいたい数ヶ月に一度しかやりません。
洗車したのは趣味で所有しているフランス車で、この車には昨年8月に巷で流行りの「ガラスコーティング」というのを施工していたのですが、考えてみたら施工後初の洗車でした。

驚いたことに、拭き上げ時のウェスの感触がそれ以前とはまったく異なり、まさにガラス質の保護膜が塗装面を固く覆っていることが、指先の肌感覚でわかりました。
施工店の説明では、施工後は水洗いのみでOKということだったけれど、それは半分聞いておいて、マロニエ君としては害のない程度の軽いケミカルぐらいは使うつもりだったけれど、途中からそんな小細工がまったく必要ないことがわかりました。
水分を丁寧に拭き上げてみると、いかにもガラス質特有のシャープな輝きがあらわれて、これはすごいと感心させられました。

ガラスコーティングというのは従来のフッ素コーティングなどと比べると若干高価ではあるけれど、じゅうぶんそれだけの価値はあると実感したところです。

ガレージといえば、マロニエ君宅のガレージは、向いの巨大なマンション駐車場の出入り口と道を挟んで向き合っている恰好なのですが、そこには相当数の車があり、朝夕ともなると、めまぐるしいばかりに次から次に車が出入りし、入口のパイプ式シャッターはあまりにも間断なく上下動を繰り返すものだから、ときどき故障してメンテナンスの人が何時間も奮闘している姿を見かけるほどです。

ところが、元日の午後はというと、ここを出入りする車はウソみたいにほとんどなく不気味でさえありました。
いかにお正月とはいえ、そのあまりの静寂は異様としかいいようがなく、みなさんなにをしているのかと首をひねるばかり。

どこもかしこも昼間から酒盛りというわけでもないでしょうし、老若男女が暮らすあまたの世帯がびっしりとひしめき合っているのに、物音一つしないその雰囲気が数時間続くさまは、さながら戒厳令でも出ているようでした。

考えてみれば日本のお正月というのは一種独特なものがあって、このときとばかりに家族が集まり、そこにはゆるやかな閉鎖性と排他性が漂い、どこか神聖ささへ帯びているあたり、この時期は友人知人といえども、連絡はなるたけ慎むべく自然に気を遣い合っている感じがします。

そんな日本の伝統的なものと、マンションという居住形態がいよいよ人々を外に出さなくなっているのだとしたら、なんだか少し薄気味悪い気さえしました。
マンションといえば思い出しましたが、友人がニュースで耳にしたという話ですが、最近流行りの高層を誇るタワーマンションは、そのいかにも最先端的かつスタイリッシュな外観とは裏腹に、住人のひきこもりを助長しているという調査結果があるのだそうで、へええと思いました。

玄関のドアを開ければそのままひょいと外に出られる一戸建てと違って、何をするにもいちいちエレベーターを呼び寄せ、他人と一緒になったりならなかったりしながら数十メートルの上下移動を必ずしなくてはならないし、さらにはなんらかのセキュリティを通過して行くとなると、たしかに外出も知らず知らずに億劫になるだろうなあと思いました。

また別の友人の話によると、今どきは奥さんも子供もあまり外には出たがらず、いつも自分が旗振り役になって外に連れ出すのだそうで、とくに外に出たくもなく行きたいところもない由で、これにはびっくりでした。
昔は仕事で疲れてゴロゴロしたいお父さんの背中を揺さぶって、どこか連れて行ってと子供からせがまれ、しぶしぶ起き上がるというのがありふれた光景でしたが、今はもうそんなことはなくなってしまったようです。

そういえば、いつ頃からだったかはっきりはわからないけれど、一家で外出している中でもお父さんのテンションがひときわ高く、一番張り切っているような光景を目にするのが珍しくないようになりました。
なんだかいろんなことが少しずつ変わっているんですね。