小さな大器

お正月休みの後半、ピアノの知人の家にお招きいただきました。

そこには、すでに何度かこのブログにも書いていますが、素晴らしいスタインウェイがあるのです。
戦前の楽器で、しかもラインナップ中最も小型のModel-Sなのですが、内外ともに見事な修復がなされ、これが信じられないほど健康的で朗々と良く鳴り、小規模なサロンなどであればじゅうぶんコンサートにも使える破格のポテンシャル。
このピアノを弾くと、ピアノは必ずしもサイズじゃないといつも思い知らされます。

よくネットの相談コーナーなどで、スタインウェイのSがいかなるピアノかをろくに知りもせず、そのサイズから見下したような見解のコメントを目にすることがあります。
スタインウェイというブランドがほしいだけの人は買えばいいが、自分なら…という但し書き付きで次のような(言葉は違いますが概ねの意味)尤もらしい意見が展開されます。

スタインウェイといっても、Sは置き場に恵まれないマンションなどの狭い空間用のいわば妥協のモデルで、それにスタインウェイらしさを求めるのは幻想であり無理がある。しかも中古でも安くもないのにスタインウェイというだけでそんなものを買うのは、ピアノをに対して無知な人で、まさにブランド至上主義者だといわんばかり。
そんなものに大金を投じるぐらいなら、本当にピアノを知る人は、それよりもっと大型のよく調整されたヤマハを買ったほうがよほど有益で懸命であるというようなことを、いかにもの理屈を混ぜながら論じている人がいますが、きっとそういう考えの人は少なくないのでしょう。
少なくとも書いている本人がそう信じている様子が感じられます。

それはおそらく、こういうピアノに触れたことがないまま、セオリー通りにピアノはサイズがものをいい、小さくても(すなわち弦も短く響板面積も少ない)スタインウェイを選ぶような人は、スタインウェイをいう名前だけをありがたがるブランド指向だと断じているのでしょう。
さらにはどうせ大金を投じてスタインウェイを買うのであれば、Sだからといって特別安価なわけではないのだから、だったらもうひと踏ん張りして少しでも大きなものを選ぶほうが懸命であるし、そのほうが本当のスタインウェイらしさもあるはずだという思いも働いているように感じます。

よく、スタインウェイやベーゼンドルファーは奥行き❍❍❍cm以上あってはじめてその価値が発揮されるのであって、それ以下はマークだけのまやかしみたいなことを書かれることがあります。
しかも驚いたことには、それらを「触った経験」のあるという技術者の意見だったりするので、専門家と称する人からそこまでいわれれば普通の人は「へーえ、そういうものか」と思うでしょう。

でも、そういうことを言う人のほうこそブランドを逆に意識しているのであって、高価な一流品に対してある種の敵愾心を持っている場合もあるように感じます。

で、その知人宅のSは、とくにピアノが見えない場所からその音だけを聞いていると、奥行きわずか155cmのピアノだなんて、おそらく専門家でもそう易易とは言い当てられないだろうと思えるほど、美しいスタインウェイサウンドを無理なく奏でており、聴くたびに感銘を受けずにはいられません。
強いていうなら、低音域の迫力がより大型のモデルになれば、もっと余裕が出てくるだろうという程度。

すべてのS型がこうだとはいいませんが、これまでマロニエ君が何台か触れてきたSはだいたいどれも好印象なものが多く、だからSは隠れた名器だと思うのです。
なので、S型を最小最安モデルなどと思ったら大間違いで、むしろ積極的に選ぶ価値のある優秀なモデルだとマロニエ君は自信をもって思っています。

その知人は、そのSが調子がいいものだから、更にその上をイメージしてゆくゆくはBあたりを狙いたいという気持ちもないではない様子ですが、マロニエ君に言わせれば、その素晴らしいSを手放してBを買っても、必ずすべてがより良くなるとは限らないような気がします。
今のピアノが不満というなら話は別ですが、まったくそうではないのだから、マロニエ君なら絶対に手放さずに、もう1台違う性格のピアノを並べたほうがいいのでは?…などと勝手なことを思いました。