1月はじめのクラシック音楽館では、放送時間の3/4ほどがトゥガン・ソヒエフ指揮のN響によるプロコフィエフのオラトリオ『イワン雷帝』で、残り30分はメナヘム・プレスラーが昨年来日した折の短いドキュメントが流されました。
プレスラーは言わずと知れたボザール・トリオの創始者であり、50余年にわたる活躍の初めから終わりまでそこでピアノを弾き続け、トリオそのものを牽引してきた名演奏家にして功労者。
そのボザール・トリオが10年ほど前に解散してから、プレスラーはソロを弾くようになりましたが、現在94才とのことなので、解散時は84才だったということになるのでしょう。
84才からソロ活動とは人生いろいろですが、マロニエ君はプレスラーのピアノはトリオの時代には感心しながら聴いていたけれど、解散後のソロピアニストとしての演奏は正直それほどのものとは思いませんでした。
なんといってもソロ活動を始めるには、いささか遅すぎた観があり、あまり言うべきではないかもしれないけれど、さすがに技術的な衰えもあって、自らが打ち立てた「ボザール・トリオのメナヘム・プレスラー」という知名度に頼ってやっている感じが否めません。
今回の来日では、サントリーでのソロリサイタルの他にピアノトリオのマスタークラスも開催されたようで、さすがにその時の表情は、それ以外のときよりも厳しさが漲り、はるかに頼もしく見えました。
トリオは彼の人生でも中核を占めてきた分野であるし、カッと目力が入って引き締まり、自信に満ち、なるほどと思うような指示を次々に与えていて、やっぱり大したお方だと思いましたし、人間やはり自分のいるべき場所にいる時は美しく大きくなるようです。
ただしこの番組じたいがわずか30分と短かったうえ、ソロリサイタルでの様子やインタビュー部分が多くて、マスタークラスの様子はごく僅かであったのが個人的には残念でした。
曰く、「指で音符を弾くだけなら誰だってできるけれど、音楽を表現する人は少ない」というのはまったくごもっとも。
さらに、彼の発言の中で最も心に残ったのは「音楽は、聴く人の耳に届けるのではなく心に届けるもの」そして「ピアノは指先で歌うもの」という言葉。
実際には、聴く人の心どころか、耳にさえ届けようとせず、ただ正確に弾けるという技巧自慢をすることに全精力を使う奏者のなんと多いことか。
リサイタルからは、ショパンやドビュッシーの小品の演奏が聴けましたが、さすがに94という年齢もあり、テンポもゆったりして音量もないけれど、ひとつひとつの音のつながりや意味、曲のなかに点在する美しい要所々々のひとつひとつに反応し、音楽が人の心の中で反応する本質のようなところを、非常に敏感に丁寧に演奏しようとしておられるのが印象的でした。
今の若い人が、そのままの演奏をしても許されることではないけれど、音楽本来の意義や精神、大切にすべきポイントは何であるかという点はじゅうぶん伝わりました。
歩くのも杖を付きながら非常にゆっくりですが、傍らには長身の中年女性がいつも寄り添っており、その女性が子供を見下ろすようにプレスラーは小柄でかわいらしく、彼はその女性のことを非常に頼りにして、大切に思っているようでした。
すぐ思い出したのが晩年のホルショフスキー。
彼も非常に小柄で、傍らにははるか背の高い女性がいつも甲斐甲斐しく彼のお世話をしていたあの光景。
ホルショフスキーの場合、その女性は夫人でしたが、ともかくも男性はつくづく女性を頼り、助けられて生きていられるのだということを如実に示すような光景でした。