神様のブレーキ

きっとご同様の方がいらっしゃるだろうと思いますが、とくに目的があるわけでもないのにネット通販のあれこれやヤフオクなどを見てしまうことがよくあり、これはもう半ば習慣化してしまっています。

自分の興味のあるいくつかの対象をひととおり見てしまうのですが、中にはそんなに頻繁ではないけれど、むろんピアノも含まれます。

ピアノに関していうと、マロニエ君なりの一つの基準は、年代が古めのもの、あとはヤマハカワイはあまり興味がなく、それ以外の「珍品」を無意識のうちに探しているように思います。
なぜなら、見るだけなら圧倒的にそっちのほうが楽しいから。

ピアノに関してはあまり頻繁に見ないのは、他の商品と違ってほとんどと言っていいほど動きがなく、終了すれば再出品の繰り返しで目新しさに乏しいから、たまにしか見ません。
ところが今回目に止まってしまったのは興味のないはずのヤマハで、それは50年ほど前のアップライトでした。

おそらくは写真から伝わってくる、なにかインスピレーションのようなものだったと思われます。
外観はサペリ仕様で、木目が上から床近くに向かって力強く垂直に通っているのが大胆で、色も弦楽器のような赤みを帯びた深味のあるものでした。
そしてなにより惹きつけられたのは、全体からじんわりと醸し出される、佳き時代のピアノだけがもっていた堂々とした風格が写真にあふれていたことでしょうか。

このピアノは決して装飾的なモデルではないのに、細部のちょっとした部分まで凝っていて、板と板の継ぎ目であるとか足の上下などには、きれいな土台のように見える段が丁寧につけられているなど、いたるところに木工職人の技と手間暇と美しさを見ることができました。
機能的には一枚の板でも済むところへ、デザイン上のメリハリや重みになる窪みやライン、段差などがあちこちに施されることは、ピアノが単なる音階を出す道具ではなく、楽器としての威厳、調度品としての佇まいまでも疎かにしないという表現のようでもあるし、そこになんともいえぬ温かみや作り手の良心を感じるのです。

現在のピアノは(ヤマハに限らず)そういう、木工的な装飾などは極限まで排除され、板類も足もただの板切れや棒に機械塗装して、効率よく組み立てただけで、製品の冷たさや無機質な量産品という事実をいやでも感じてしまいます。

さて、そのオークションにあったヤマハは高さ131cmの大型で、かなり長いこと調律をされていないらしいものの、内部はまったく荒れたところが見あたらず、撮影された場所にずっと置かれていただけということが偲ばれました。
価格はなんと7万円台というお安さで、これに送料および内外装の仕上げなど、これぐらいの手間と金額をかければかなりよくなるだろう…などと勝手な妄想をするのはなんとも楽しいもの。
実は妄想というだけでなく、よりリアルにこれが欲しくなったのは事実でした。
しかし、なにしろピアノにはあの大きさと重さと置き場問題がイヤでも付きまとうので、「これ買ってみようかな!?」という軽い遊びに至ることはまず許されません。

さらにヤフオクの場合、中古の楽器を現品確認することなく買うという暴挙になることがほとんどで、そういう行為そのものがかなり邪道であるのは間違いありませんが、そういうことってリスクを含めてマニアとしては妙に楽しいことであるし、もとが安ければ失敗した時の諦めもつくというもの。

ただピアノがあの図体である以上、必要もないのに買って仕上げて遊ぶといったことは、よほど広大な空間の持ち主でもない限りまず不可能です。

マロニエ君の友人にフルートのコレクターがいることは、このブログでも触れたことがありますが、彼などは「銘器」といわれるヴィンテージ品だけでも優に10本以上持っていて、それでもまだあちこちの楽器店に出入りしては、ドイツのハンミッヒだのフランスのルイロットだのと一喜一憂しながら、悩んだ挙句ついまた買ってしまい、家では隠しているんだとか。

ピアノが、こんなふうに自分で持ち運び出来て、家でも隠せるぐらいのものなら、マロニエ君もどれだけそこに熱中するかしれたものではなく、ああこれはきっと神様が与えてくださったブレーキで、却ってよかったのだと思うしかありません。
ちなみにそのヤマハは終了時間までに見事に落札され(ピアノの場合は入札がかからないのがほとんど)ましたので、やはり他の方の目にも止まったんだなぁ…と納得でした。

ちなみに、ヤマハの音質はまさにこのピアノが作られた1970年ごろを境に大きく変わるという印象があります。
少なくとも1960年代までのヤマハは今とはまったく違っていて、あたたかみのある音がふわんと響く優しさで反応してくれるピアノで、マロニエ君は個人的には弾いていてかなり心地よい印象があります。

それ以降は良くも悪くも一気に近代的な、今風の華やかでエッジの立った音になっていきます。
時代がそういう音を要求したということもあるかもしれないし、材質問題や生産効率を突き詰めていくと、どうしてもそっち系の音になるのかもしれません。