ジャズクラブのように

先日、録画していた映画を見ていてあることを思いつきました。

その映画の主人公はジャズクラブのオーナーで、店では毎晩のように生演奏が繰り広げられ、大勢のお客で賑わいます。
マロニエ君もずいぶん昔ですがブルーノートにチック・コリアを聴きに行ったことなど思い出しました。

はじめて目にする会場というか店内にはいくつものテーブルがあり、簡単な食事ができて、飲み物や軽いアルコールなどが当たり前のように提供される場所。
それでいて、あくまでこの場の主役は音楽であることが明確に成り立っている世界。
ふと考えさせられるのは、音楽を聴くということは人間の楽しみであり喜びであり、演奏する側も聴く側も共に楽しむという基本。

音楽を聞きに来たお客さんが、荷物の置き場もない狭いシートに押し込められて身動きもできず、咳払いにも遠慮しながらひたすら演奏を拝聴するというクラシックのストイックなスタイルしか知らなかったマロニエ君は、大変なカルチャーショックを受けたことを今でも覚えています。

映画でもそうでしたが、お客さんは娯楽的な空気の中で、各自がもっとリラックスして演奏に耳を傾けます。
その点ではクラシックの演奏会の聴き方はあまりにも固すぎると思いました。
もしジャズクラブのクラシック版みたいなものがあったらどんなにいいか。

音楽が人間の楽しみの重要な一角を占めるのであれば、やたら修行のようなことでなく、もう少し快適な環境で聴けるということも考えてみてよいのではないかと思うのです。
いくら音楽を傾聴すると言っても、ただひたすらそれだけというのではあまりにも享楽性に乏しく、そのためにも飲食を切って捨てる必要はないのでと最近のマロニエ君は思うのです。

もちろん演奏中の飲食はダメですが、開演前か終演後に軽い食事ができて、休憩時間には飲み物が普通にあるような場所。
そんな環境でクラシックのコンサートをしたら、行く側もどんなに楽しみが倍増するだろうかと思うのです。

考えてみればマロニエ君の子供の頃には市民会館などがコンサートの中心で、そこにはごく庶民的なレストランもあり、開演前に食べた素朴なメニューは今でも不思議に覚えています。

誤解しないでいただきたいのは、べつに飲み食いが目的というわけではなく、音楽をくつろいで楽しむための脇役として飲み物や軽い食事などが自然にある場所や時間というのは、音楽のためにも実はけっこう重要なのではないかということです。

そもそもオーケーストラならいざしらず、ピアノはじめ器楽のリサイタル程度なら、巨大なホールでやられても聴く方も遠すぎて楽しくないし、主催者だってチケット売りが大変、演奏者にかかる負担も必要以上のものが覆いかぶされうような気がします。
その点、ジャズクラブぐらいの規模で、せいぜい数十人規模のお客さんを相手に、もう少しゆったりと演奏を聞かせてくれたらいいのではないかと思うのです。

演奏時間も現在のホール形式では、休憩を除けば前後合わせてだいたい1時間半かもう少しといったところですが、これは少し縮小して2/3ぐらいの時間にしたらどうかと思います。
そして、客数がそれだけでは足りないでしょうから、それを数日間繰り返してもいいのでは。
そのほうが演奏する側だって、せっせと練習に打ち込んで一回こっきりの本番より、ある意味やりがいがあるのではと思います。

多様性という言葉がよく聞かれますが、だったらコンサートの世界にもこういう新しいスタイルが少しは試されてもいいような気がするこのごろです。