クラシック倶楽部の放送で、最近のエリザベト・レオンスカヤの演奏に好印象をもったので、機会があればシューベルトなどを聴いてみたいと書いていましたが、そんな折も折、CD店を覗いているとまるでこちらの意向を察してくれたかのように、彼女のシューベルトのBOXセットがワゴンのセール品の中に紛れ込んでいるのを発見して即購入。
WARNER CLASSICSによる6枚組で、2種の4つの即興曲、後期をすべて含む7つのソナタ、さすらい人幻想曲、ピアノ五重奏「ます」というもので、まあまあ主要な作品は押さえられている感じです。
しかも、価格は(正確に忘れましたが)たしか千円代前半ぐらいの、買う側にとっては大変ありがたい反面、演奏者には申し訳ないような破格値でした。
内容はやはり誠実一途な演奏で、どれを聴いても一貫した節度と厳しさと信頼感にあふれており、レオンスカヤのピアニストとしての良識・見識は疑いのないものでした。
ただ、どれもまだ現在にくらべると若い頃の演奏で、録音年を確認したところ1985年〜1997年の演奏で、一番新しいものでも21年、古いものは33年前の演奏ということになります。
もちろんそれでも満足の行くものではありましたが、最近のような表現の幅と自由さみたいなものは少なめで、やや硬い感じもあり、あえて欲をいわせてもらうなら、もうすこし力を抜いた微笑みがほしいというのはありました。
以前からマロニエ君はこのレオンスカヤの真面目一筋みたいな臭いの強すぎる演奏が苦手でしたが、当然ながらそれは曲にもよるわけで、シューベルトにはその折り目正しい演奏スタイルが向いていて、彼女のいい面がストレートに反映できる作品だったといえるでしょう。
そういえば吉田秀和氏が、ある著書の中でホロヴィッツのシューベルトに触れていたのを思い出します。
タイトルも忘れたし、うろ覚えですが、おおよその意味はホロヴィッツが弾くシューベルトを「あまりに作為的、香水がききすぎた感じ」という感じに表現し、「自分はもっとやさしみのある、正確さをもったシューベルトのほうが好み」といったようなことが書かれていたよう記憶しています。
これはまったく同感で、シューベルトというのはやっぱりそういう端正な演奏を好む音楽だと思うし、これをあまりに好き勝手にやられるとシューベルトの世界が崩れてしまいます。
かといって、あまりに細かい意味付けとハイクオリティをやり過ぎたのが内田光子で、全方位に意識を張りつめすぎた結果、聴くほうも強烈な疲労感に襲われ、最後は酸欠状態になりそうでした。
レオンスカヤにはそんな緊迫性はありませんが、もう少し丸く自由になっていただけたらいいと思われ、できることなら今のレオンスカヤにシューベルトの主要作品だけは再録してほしいと強く思います。
再録といえば、やはり評論家の宇野功芳氏は内田光子にモーツァルトのピアノソナタを再録してほしいと書かれていて、これまた激しく同感ですが、どうもその予定はないのだとか。
このように再録してほしいピアニストと作品の組み合わせはいくつかあるのに、なかなかそうはならない一方で、もういいよ!と思うようなものを、しつこく何度も入れる懲りない人もいたりで、どうも聴き手の要求と現実は噛み合っているとは言い難い気がします。