弱音での調律

先日、自室のシュベスターで診て欲しいところがあり調律師さんに連絡していたら、出先からの帰りで時間ができたからといって、思ったより数日早く来宅していただきました。

診て欲しかったのは、止音がやや不完全なためにダンパーがかかった後にもわずかに響きが残るというもの。
グランドは上から下にダンパーが降りるので、物理的法則にも適っており、比較的問題が少ないようですが、アップライトでは縦についたダンパーが、縦に張られた弦の振動を止めるために、構造上どうしても無理があり、メーカーを問わずよくある事の由。
これに関しては対策を考えることになり、結論も出ていないので今回は書きません。

ひととおり診た後、ありがたいことに中音域から次高音にかけて手直し程度の軽い調律を自発的にしてくださいました。
ちょっと乱れを整えるという感じで、ずっと会話しながらで、時間的にもそう長いものではありませんでした。

ところがあとでびっくり。
帰られた後、弾いてみるとこれがもうかつてないような、少なくともこのピアノでは初めての、甘くて深みと透明感のある、いつまでも弾いていたいようなとろとろの音になっていたのです。

大袈裟にいうと、ただ指を動かすだけでピアノが勝手に歌ってくれるようで、これには参りました。
いらい数日が経ち、ややその輝きも薄らいできた感じがゼロではないけれど、まだまだその気配は十分残しています。

このピアノを診てくださっている調律師さんは、非常に拘りが強くて丁寧な仕事をされる方ですが、コンサートの仕事をされるだけあって調律にもいろいろなバージョンややり方をお持ちの様子。
ただ、いつもきちんとした調律されるときは、それなりの時間をかけ、調律時に出す音もわりと強めで、基本的にはタッチはフォルテを基調とした調律をされていました。

しかしこのときは、あくまで整え程度だっために、さほど気合も入っていなかったのか、タッチもごく普通のどちらかというとやわらかめでの調律でした。

マロニエ君は、実は、それが良かったのではないかと思っています。
以前、ネットで見た記憶があるのですが、某輸入ピアノのディーラーの調律研修会で、調律というものは突き詰めると、調律時に出す音の強弱やタッチによって結果が大きく変わるということで、調律師はチューニングハンマーだけを回し、音出しは他の人がやるという実験をやっていて、その音の出し方、あるいは別の人が音をだすことで、同じ人でも仕上がりに差がでるというものでした。

それを裏付けるように、某メーカー出身で、ヨーロッパの支店やコンクールの経験の長い技術者の方は、調律時にはpかmpぐらいの小さな音で調律され、フォルテは一瞬たりとも出されません。
はじめは驚き、それで大丈夫だろうかと思いましたが、それで実に見事な美しい調律が出来上がり、この方の調律によるリサイタルも何度か聴きましたが、fffでの破綻もないどころか、平均的なコンサート調律よりむしろ均一感があって、いずれもたいへん見事なものでした。

この方曰く「調律は、そのピアノのもっとも繊細で美しい音によって行うべきもので、可能なら弾く人に音を出してもらいながら調律できるなら、本当はそれがベストだと自分は思う」と言われたのに驚いたものです。

シュベスターがかつてないような美音を出したことが、この時の調律の音の強さにあったのかどうか、確たることはわかりません。
ただ、fやffで調律する人は、それによって破綻しない安定した結果が得られると思っておられるのかもしれないし、実際調律を学ぶ際のセオリーとしてどうなのかは知りませんが、こういうことが起こったということはひとつの事実だと思うのです。

ちなみに電話して、特別なことをされたのかどうか質問してみましたが、それは一切していないとのことで、電話の向こうの調律師さんはこちらが喜んでいるのでそれはよかったという感じでしたが、意外な展開にきょとんとされている感じでした。
マロニエ君があまりワアワアいうものだから、少しは小さい音での調律に興味を感じられたのか、あるいはただご希望通りにということなのか、そこはわかりませんが「じゃあ、今度はそれでやってみましょうか?」と言われましたので、次はぜひそのようにお願いするつもりです。