映画の開始時間

久しぶりに映画館を訪れて感じたこと。

マロニエ君は映画は普通に好きですが、かといって新作にアンテナを立てて公開中の作品をわざわざ見に行くほどの熱はありません。
よってふだんは映画館はまず行きませんので、『羊と鋼の森』を見るために久しぶりに映画館を訪れ、そのときにいろいろと感じるところがあり書くことに。

行ったのはショッピングモール内にあるシネマですが、入場券の購入方法も販売機の液晶画面を迷いながら見て、映画のタイトルや時間、人数、支払い方法などを順次押していくシステムで、こちらは映画を見に来たのに、機械相手に無事にチケットを買えるかどうか、いきなり試されてるようでもあり、終始だれとも口をきくことはありません。
つくづくと、今の世の中はこうして人と関わることが徹底して排除され、相手にするのはいつも液晶画面でありシステムであることを痛感させられます。

上映時間はむろん予めネットで調べてあったし、この発券機でも同じ時間が表示されています。

入り口のソファーで待っていると、各映画の上映時間が近づくたびに上映される部屋の番号と、どれが入場できる時間になったかということがアナウンスされます。
それにしたがってこちらも入場。

ところが、シートに着席して暗いスクリーンに灯が入ると、まずはコマーシャル、上映にあたっての注意などがくどいほど流され、それからというもの延々と洋画・邦画の各予告編や飲食店の宣伝などがいつ果てるともなく続き、目指す本編が始まったのは、本来告知されていた時間を20分もオーバーしており、これにはさすがに憤慨しました。

今どきのことなので、多少の宣伝や予告編があるのはわかるけれど、20分はあんまりです。
こちらはそこに出向いて、お金を払って、見たい映画を見るために来ているわけで、興味もないものを容赦ない大音響とともに延々と見せられることの苦痛はかなりのものでした。

これは映画館をよく知る人にとっては普通のことかもしれないし、慣れていればそれを見越した行動が取れるのかもしれませんが、たまに行くほうはそんなことは知らないし、何時と書かれていれば素直にその通りに受け止めるわけで、実際の上映開始がその20分も後になるなど考えもしませんでした。
同時にこれは、いささか問題ではないかと思いました。

もちろん、コマーシャルや予告編が悪いとまで言う気はないし、特に予告編に関してはそれを今後の参考にされる方も多いかとは思いますから、それはそれで否定するつもりもありません。
ただ、事前情報として、広告を含む上映開始は何時、本編開始は何時ということはもう少し明確にすべきで、今はやりの言葉で言うなら「正しい情報開示が必要」ではないかと思います。

なぜなら、広告や予告編を見るか見ないかは個人の意思によって決められるべきで、そこには選択の自由があり、本編直前に会場入りし、その映画だけを見たいという意向の人もいるわけです。
しかも鑑賞にあたっては定められた料金を払っているのですから、無料垂れ流しのテレビのコマーシャルとは本質的に違うし、ましてそれが断りもなく一方的に20分というのはマロニエ君にとってはまさに拷問に等しいものでした。

こんなことは映画だけであって、コンサートなどは何時開場、何時開演とあれば、当然そのようになっているわけで、開演時間になったらそのホールの今後のコンサートの予定などが延々と紹介されるなんてことはありません。
スポーツ観戦などはほとんどしたことはないけれど、試合開始何時とされながら、その時間になったら、別の競技の宣伝や近くのレストランの紹介などが延々20分もされたら、きっと観客は怒り出すのではないでしょうか。

これは映画だけの悪しき慣習だと言わざるを得ません。
ただ単に、予告編開始何時、本編開始何時、と明記しておいて、予告編が見たい人はその時間に合わせて行けばいいだけの話だと思うのですが。
この点に関しては、まったく罠にはめられたような印象で、その20分のおかげですっかり疲れてしまって、本編の開始時に新鮮な気持ちでスクリーンに相対することができなかったのは、すこぶる不愉快でまんまと騙された気分でした。