1月3日に書いたブログの続編。
同じ街で、もう一軒のピアノ店にも行ってみました。
ここはスタインウェイ、ファツィオリのような高級品から、ペトロフ、ディアパソン、さらにはウエンドル&ラング、フォイリッヒといったかつてのヨーロッパブランドが現在中国生産されるリーズナブルなものまで、幅広い銘柄を取り扱うピアノ専門店。
ホームページによると、この店がいま最も力説していることが、プレップアップという出荷調整。
この作業を入念に行なうことで、ピアノの音や機構を精密な領域で整え、潜在力を最大限発揮させるという最も正統的な考え方で、それによっていかにピアノが明瞭確実にすばらしいものになるかを実践している店。
アクションという繊細で複雑なしくみを持つピアノにおいて、そのメカニズムの正しい調整がいかに大切かということは、いまさら言うまでもないことですが、なかなかそのように調整されたピアノが少ないのも現実。
たかが調整と思うなかれ、ピアノを生かすも殺すもこれにかかっているといっても過言ではありません。
その最大の難点は、非常に時間のかかる作業の積み上げによってはじめて到達できるもので、すべてが地道な手作業によるものであることと、なかなかその重要性を理解するだけの一般認識がないというところでしょうか。
何日がかりでそれをやったとしても、わかりやすく目に見えるものではなく、やらなくてもとりあえず普通に音は出るし演奏はできるから、それをやりたがらない店がほとんど。
お客さんもそういうことより、価格や値引きを求める人が多いということなどもあるのかもしれません。
アポ無し(購入目的ではないので、当たり前)で行きましたが、若いお店の方が、快く店内あちこちを案内してくださり、最も感銘を受けたのはグランドの展示場でした。
そこにはペトロフ、ウエンドル&ラングのほか2台のディアパソン183cm(新品)などがあり、一台は一本張り仕様でしたが、そのタッチと音の素晴らしさは、エッと声が出るほどすばらしく、思わず息を呑みました。
というか、マロニエ君はかつてこれほどリッチな音となめらかなタッチをもつディアパソンを弾いたことはなく、つい最近もディアパソンのアクションはもったりして時代遅れというようなことを書いたばかりだったこともあり、これにはかなりの衝撃を受けました。
まずなんといっても発音が素晴らしく、濁りもクセもない筋の良い音が、澱みなく軽やかに立ち上がってきます。
その音はディアパソンらしいというよりも、もっと普遍的なピアノの美音で、腰がすわっていて、太くて明晰、なんのストレスもなく朗々と、しかもさも当たり前のように鳴っていました。
タッチは重くも軽くもなく、どのキーもむらなく整い、スカッとしているのにしなやか。
強弱硬軟意のままで、いくらでも弾きたくなる気分にさせてくれるものでした。
その技術者の方とも少しお話ができましたが、大事なことは、鍵盤を抑えて打弦するまでの過程にさまざまな(あってはならない)ブレーキがかかっているから、それを地道な作業でひとつひとつ取り除いているということ。
至極もっともなお話でした。
この出荷調整は人の手でおこなうしかなく、ひじょうに時間をとり、しかもしないならしないでも商品としては成立するため、営業サイドからすれば非効率でコストのかかる作業みなされ、名のある一流ピアノでも、昔ほどプレップアップに時間を書けなくなったという話はよく耳にします。
メーカーや輸入元でさえそういう割り切った方向にかじを切っている中、地方のピアノ店で、ここまでこだわっている店があるということ自体、なんだかかとても感動させられる事実でした。
その甲斐あって、そこに置かれたピアノは値段の問題ではなく、真の意味での高いクオリティをもったピアノになっていました。
もし目隠しをされて、そのディアパソンと、その倍の値段もするような普通のプレミアムピアノを弾いたら、マロニエ君はきっとここのディアパソンを高級ピアノと感じて選ぶだろうと思います。
いわばアスリートが名監督との出会いによってメダルを取れるところまで到達できるようなもの。
本当にいいものに触れたときの感触というのは、いつまでも忘れられない深い記憶となりますが、あのディアパソンの音とタッチの素晴らしさはまさにそれでした。
ピアノにとって精魂込めた調整がいかに大事かは重々わかっているつもりでしたが、あらためてそのことを再認識させられる貴重な体験でした。