つい先日、反田さんのショパンについて書きましたが、少し補足。
久しぶりにタワーレコードに立ち寄ったところ、お得意のラフマニノフの新譜が出ており、試聴コーナーにセットされていたので、これこそ本領発揮だろうと思って聴いてみることに。
曲はピアノ協奏曲第3番(ロシア・ナショナルフィル、指揮アレクサンドル・スラドコフスキー)、ソナタ第2番、op.23の前奏曲から2曲。
協奏曲は昨年10月のモスクワ、ソロは同11月に福島音楽堂での録音。
まず驚いたのは、ゆったりしたテンポ感でした。
気になったのは、実際のテンポそのものより、ビート感というか流れの推進力がなく、その場その場を確かなものとするような方向性なのか、どこを切り取ってもきっちり刻印されたように弾いている感じ。
たしかな技巧に恵まれ、せっかくこの3番という壮大な協奏曲を弾いているのに、これまでの反田さんのイメージからすれば、期待するものとはちょっと違うものを見せられているようでした。
もちろん全曲を聴いたわけではないし、店頭のあまり音のいいとはいえないヘッドフォンを通じて聴いただけなので、それで断定的なことは言えないけれども、それでもそこで感じたことというのはあるわけです。
あとに残ったことは、過日のショパンのときと同様、この人はいま何を目指しているのか…ということ。
ショパンコンクールを狙っているのでは?と前に書いたけれど、リストやラフマニノフを得意とし、ショパンも手中に収め、コンクール歴もこの際追加できるものは追加して、ピアニストとしての王道を目指しているんでしょうか。
個人的には、この人はこの人なりの個性や強みを活かして、いい意味での異端であってほしいのですが、もしかすると今の時代はそれを許さず、ディテールを整え、露出を増やし、キャリアや権威を身にまとい、なんとしてでも大物に仕立てあげなくてはいけないのかなぁ…と思います。
浅黒い肌に総髪、鼻の下とアゴにヒゲを生やして、まるで秘術でも使う忍者か、どこかのバーテンダーかマジシャンか、はたまた平氏の落武者のようでもあり、すくなくともピアニストっぽくない風貌も見る人のインパクト感に加勢しているのかも。
くわえてぶっきらぼうな態度がいかにも今どきの男子風で、どこかひ弱で線が細くて、なめらかなトークのできる音大生あたりにはない、野趣がある点も魅力なのかも。
その演奏の特徴はアーティスティックな感性主導かと思いきや、意外なほどエゴはなく、もっぱら健康でシャープで法令遵守タイプなので、サラッと時代の基準に合わせてやっていける人なのかもしれません。
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同じ頃、民放BSでは牛田智大さんと小林研一郎さん指揮の読売日本交響楽団による、チャイコフスキーの第1番というのがありました。
この方も現代の若手ピアニスト特有の要素を備えていて、しっかりしたメカニックを備え、この難曲を滞りなく弾けますよということを聴衆と視聴者に、予定通りに示したような演奏でした。
くわえて、きれいな王子様風の雰囲気、甘いマスクと絶やさぬスマイルは反田さんとは正反対。
子供の頃から注目され、浜松コンクールで第2位になるほどだから、もちろん上手いし危なげなく弾けてはいるけれど、プロの演奏会というよりは、どこかコンクール風の雰囲気が拭えず、まだ演奏家としての確定された存在感が足りないのかとも思いました。
なにより感じるのは(牛田さんに限りませんが)、とかく今の若い人の演奏には、作品への敬愛の念とか、そこからインスパイアされた自己主張とか表現の試みというものがなく、むしろそこは排除するほうに育てられてきたという感じがすること。
演奏している当人が、その作品の中に没入して曲が鳴り響くというのではなく、山積みされた楽譜があり、音符や指示があり、それを覚え込んで徹底的に練習して今に至っているという現実が見えてしまいます。
自分がどう感じてどう解釈しているかという要素が見当たらないのは、それが競い合いでは却って裏目にも出る要素だから、消さなくてはいけないのかもしれません。
聴く側も、演奏という名目でのアスリートとしての能力だけを求めているように思えるふしがあり、そのほうがフィギュアスケートみたいでわかりやすいからでしょうか。
過当競争の世の中に生まれ、コンクールがあり、それに沿った指導環境の中で育ってくれば、勝ち抜くにはそうなるのは必然かもしれず、やむを得ぬこととは思いますけど…。
そもそも演奏の最も大事なことは、聴いている人に「また聴きたい」と思わせることだと思いますが、ひょっとすると音楽性だの個性だのを云々することが、すでに時代遅れなのかもしれません。