4月中旬、所用で東京に数日間滞在しましたが、折悪しく平日で、とりわけ多くのピアノ店で火/水定休日のところが多いのは残念でした。
そんな中から、こちらの都合と時間を合わせながら、なんとかやりくりしてピアノ店を訪ねました。
以下、そのレポートを思いつくまま書いてみます。
【ファツィオリ】
飛び込みで行ったので、ダメモト覚悟でしたが、正午少し前にドアを開けたら真っ暗。
ほぼ留守だろうと思いながら声をかけると、ようやく奥から人の気配がして、暗闇の中から日本語の達者な若い外国人が出てきて、それ以降はきわめて親切に対応していただきました。
ピアノはF212/F228/F278/F308の4種を試しましたが、いずれも素晴らしい弾き心地で、むろんピアノそのものもいいけれど、精妙を極めたすばらしい調整にも驚きました。
F183は一台は売約済み、もう一台は届いたばかりの未調整で、いずれも弾けませんでした。
ちなみに、最小サイズのF156は受注生産で、価格はF183と同額とのこと。
F212/F228はそれぞれすばらしいものであったし、F278/F308の違いは、CDで感じていたこととあまりにも同じで、一般にCDはアテにならないと主張する人は多いけれど、個人的にはかなり信頼に足ることを実感。
あらためて言うまでもなく、あくまで個人的な印象ですが、F308はラインナップ頂上に君臨する、いわば鳳凰のような存在だろうという気がしました。
ご案内いただいた方は、流暢な日本語で、F308がいかに深い潜在力を秘めたピアノであるかをしきりに述べておられたけれど、私には、弾いてみた印象では真の主力はF278だと思いました。
とはいえどのモデルも、とても美しい上質感のある音で、ブリリアントかつまろやかで、クセがなく、弾いていて非常に心地よいことには感銘を受けました。
設計を間違えず、最良の材料と手間ひまを惜しまず作ったら、ピアノはこうなるだろうという正しい公式と答えを見せられる感じでした。
ただ、最終的に着地点が見いだせないのは、なんだろうかと考えました。
ひとつ思ったことは、ファツィオリは自己主張をせず、もしや個性がないことを狙っているのか…ということ。
楽器は演奏のための道具なんだから、だったらそれが理想じゃないかという向きには理想的とも思いますが、個人的にはいつも画竜点睛を欠く感じがつきまとうのも、やはりそのあたりなんだろうと思われます。
楽器は楽器に徹するか、そこに多少の個性が必要か、これはそう簡単に答の出る問題ではないでしょう。
あくまで想像ですが、ファツィオリが目指しているのはファツィオリの音ではなく、もっとシンプルで純粋な「美しいピアノの音」という理想なのかもしれません。
それはそれでアリかもしれず、ある程度それは実現されていて、ファツィオリに比べればヤマハでもヤマハの音がするわけで、ここまで個性を消すことは、もしかしたらものすごいことなのかもしれません。
ちなみにマロニエ君は、個人的には楽器に個性はやはり欲しいし、必要だと考えるほうのタイプで、どこかにわずかな不均衡や野趣を含むものが好みで、あまりに純粋一途なものは苦手かもしれません。
ファツィオリを最も活かすことのできるピアニストはだれかと思ったら、ただひとり思い浮かんだのがミケランジェリでした。
あの、最上のビロードのようなタッチと何層にも弾き分けられる多彩な音色で、病的なまでにこだわり抜いた音の絵画を描いていく手段として、ファツィオリは最高の絵筆になったかもしれない気がしました。
そう考えてみると、ミケランジェリはスタインウェイをかなりファツィオリっぽい、まろやかで濃密な、それでいて楽器が前に出ることのない厳しく制御のかかった独特な音にしていたように思われます。
それなのに…この稀代の天才とファツィオリは、わずかな時代のずれで、ついにすれ違ってしまったことが非常に残念に思われます。
ショールームのピアノに話を戻すと、その素晴らしさを支える要素として忘れてならないのは、精密を極めた調整がもたらすコンディションがファツィオリの素晴らしさの一部になっていることでした。
ずいぶん前、とある楽器店でちょっと触れたF183は、新品であるにもかかわらず、音といいタッチといい、とても価格に見合ったものとは思えないものでしたが、今回のファツィオリはまるきり別物でした。
音のなめらかなバランス、音色の揃い方、繊細でスムーズな思いのままのタッチなど、ふいに訪れたにもかかわらずこれほど常時見事に調整されているのは驚くほかありません。
もともとの美人が、さらにプロのメイクやライティングで輝いている状態なのでしょうけど、もし購入するとなれば、化粧崩れも出るだろうし実生活ではスッピンにもなる。
そのときにどういうピアノになるのか…却って不安になるような調整でした。
ま、買えるはずもないので、そんな心配をする必要もないですが。