ストリートピアノ

ちかごろ、ストリートピアノというのか大変な盛り上がりをみせているようですね。

そもそもの発祥はどこなのか…海外なのか、そのあたりは知りませんが、とりわけこの1〜2年ぐらいは日本国内でも、雨後のたけのこのように数が増えているようで、そうなると次から次でいまさらながら日本って流行りものに弱いんだなぁと思います。

マロニエ君は数年前NHKのドキュメント72時間とかいう番組で、宮崎市の商業施設の一角に置かれたピアノが取り上げられたことでその存在を知ったと記憶していますが、本物にお目にかかったことはまだ一度もありません。
海外でも、駅や空港などに置かれたピアノを、通りがかりの人がおもいおもいに弾いて楽しむ様子が、よくテレビで流れているので、どうやらこれは世界的なブームでもあるのでしょう。

これに使われるピアノの多くが、弾かれなくなり処分に困り、粗大ゴミに限りなく近づいた、先のないピアノの再利用といった一面があるあたりは、廃物利用で多くの人が楽しめるという点では画期的なことかもしれません。
マロニエ君的には突っ込みどころもないではないけれど、こういう遊び心の領域にあまり目くじらを立てることは無粋というものだから、これはこれで素直に楽しい気分で眺めていればいいものだと思っています。

楽器の設置環境としては、かなり厳しい場所にピアノを置くということや、あまりに派手なペイントやラッピングが施されるというのは、単純に「わー!」とは思うけれども、かといって、黒や木目のピアノをそのままポツンと置いても、場所柄地味で雰囲気も暗いだけというのもわからないではないし、ポップに仕上げるのも致し方のないことかもしれません。

それでもピアノはピアノであって、Tシャツではないのだから、あまりにド派手なペイントなどを見ると、さすがにちょっと…と思うこともありますが、一方で今どきのなんでも禁止、なんでもダメ、とりわけ音の出るものにとっては甚だ肩身の狭い世の中で「どうぞ自由に弾いてください!」というのは、ずいぶん気前のいいものにも感じます。

だれがどう弾いてもいいのがストリートピアノのルールでしょうけど、個人的にはそこにも暗黙のルールがあるような気がします。
まずはやはり楽器に著しくストレスを掛けるような弾き方をしないなど、まあ常識レベルのことでもありますが、もう一つは、そこそこ弾ける人が、ここぞとばかりに腕自慢のための演奏をするのは適しない気がします。

もちろんストリートピアノというものが、誰でも自由に弾いていいという建付けである以上、巧拙不問なのがいうまでもないけれど、中には周囲の視線を意識し過ぎるほど意識しながら、難曲大曲をバリバリ弾く光景をYouTubeなどで見たことあり、あれってどうなの?って思いましたね。
妙に浮いていて、周りもよほど拍手喝采かとおもいきや、意外にそうでもなく、熱演し終わった奏者が「あれ?」みたいなこともあって失笑したり。

そういう人がこういう場所を使って過度な自慢を繰り広げると、その狙いが周りにも伝わってしまうようで、結果的に期待するほどの効果が上がらないんでしょう。

本人がカッコイイと思ってやっていることが、実はカッコ悪くて、むしろ周囲の意識が逆流しているときって、いたたまれなさとザマミロという気分がミックスになります。
上手くても下手でも、なにかしらのピュアなものが伴わないとストリートピアノの意味が無いような気がします。
いっそプロフェッショナルのピアニストが弾いてくれたらいいかもしれないけれど、「難曲が弾けるシロウト」というのが一番やっかいです。


今年の春頃だったか、小池さんの肝いりなのか、東京都庁の展望室には一般から寄贈されたグランドに草間彌生さんの水玉模様を貼り付けた「おもいでピアノ」なるものが登場したこともあってか、テレビニュースなどでストリートピアノの事が特集されていました。

引っ越しを機に、ピアノを手放すことを余儀なくされた女性にスポットを当て、半生をともに過ごしたというピアノをストリートピアノに提供するというもの。
「我が子を里親に出す心境」なんだそうで、なるほどと思いました。

番組によれば40年前には31万台売れていたピアノは、現在ではわずか1万3千台ほどになったというのですから、その落差は凄まじいものがあるんですね。
時代や価値感の変化はもとより、近隣への騒音問題は如何ともしがたいものがあり、音の出るものというのは喫煙並みに肩身の狭いものなのかもしれません。