好きなピアノを-2

前回、一般のピアノ購入者だけでなく、ピアノ先生や技術者の方も専門的立場の意見として、YKが最も妥当な選択だと考えていることを思い出したので、もう少し。

何年も前のことですが、ある技術者さんとの間で、ピアノの評価が決定的に食い違いがあることを知って、内心非常に驚いた事がありました。

ある場所に貴重なハンドメイドのピアノがあって、それを所有者の方のご厚意で弾かせてもらったことがあるのですが、それはいわゆるYKのような量産ピアノにはない歌心、自然に広がるような響き、色の濃淡、心を通わす優しみがあって、それだけで楽しく、いつまでも弾いていたようなピアノでした。
ピアノとしての機能も充分で、いわゆるピアノという名の器具ではなく、本物の楽器といった趣がありました。

ところが、その技術者さんは至って冷淡というか、このピアノの良さをほとんど認めていないといった様子で、YKのような品質には及ばないと断じる発言がぽろぽろ出てきました。
所有者はご不在でしたので、技術の方も忌憚なく感想を言える状況だったのです。

低評価の理由は、音が均一でないとか、造りが曖昧でYのようにきっちりしていないなど、製品としての品質がまず気にかかるといった様子でした。
YKばかり触っている技術者さんは、どうしてもそれが当たり前となり、作りの精度や音が揃っているかということが判断のポイントのようで、そこに固執し、音質や表現力を一歩離れて判断してみようという気がないらしい印象をもちました。

もちろんある程度均一に整っていることは大事だけれども、そもそもの音質そのもの、曲が流れだしたときにどれだけ音楽的に歌える楽器かどうかのほうが重要で、人工的に味つけされた無機質な音がいくら整っていても、個人的にはそんなにありがたくはありません。

しかし技術者の方は、どうしても自分の職業上身についたポイントにフォーカスされて、そんな日常の習慣を急に変えることは難しいのかもしれないとは思いました。
また、専門家としての自負もおありだろうし、高名なピアニストなどが言うことならともかく、一介の音楽愛好家の意見や感想は、技術のことがわからないマニアのたわごとのように感じるのかもしれませんね。

たしかに技術者サイドで云えば、YK、とりわけYの製品は、仕事もしやすいようで技術者さんを悩ませるような問題もトラブルも皆無に近いのでしょうし、仮にあっても対処がしやすい、しかも音は揃ってよく出て、作りも機能も良いとなれば、評価が高くなるのも分からないではありません。

でも、技術者さんにとって仕事がしやすくても、無機質無表情な音がどれほど揃っていても、喜びがなければ意味がないし、それで本当に音楽をする心が育まれるのか、それが重要な点だと思います。
個人的には、簡単な曲を弾いているだけでも、そこに曲の世界が広がり、ニュアンスがにじみ出てくるような楽器であることが重要だと思うのですが、これはYK支持者にはいくら言ってもキレイゴトに聞こえるのか、なかなか届きません。

それと、技術者さんは半年か一年おきにやって来て、数時間そのピアノと接するだけで、終われば次のピアノにかかわるから、まあそんな安全第一みたいなことも言っていられるのかもしれませんが、弾くほうは年中そのピアノと付き合うわけで、そうなると表現力や喜びや楽しさは、何にも代えがたい最重要項目です。

キーに触れ、音を出すだけでちょっと嬉しくなるようなピアノ、そんなピアノで日々練習することの大切さは、そういうピアノと過ごしてみないとわからない。
ピアノというのはなかなか比較する対象もチャンスもないから、そこに気づかないまま長い期間をすごしてしまうことになり、かくいうマロニエ君も自分がそれに気づき始めたのは二十歳を過ぎてからのことでした。

今どきはみなさんコンビニ弁当やファミレスの食べ物などに含まれるという添加物への心配とか、食材の産地やオーガニックといったことにはかなりこだわりがあるのに、なぜかピアノとなるとずいぶん寛容だなあと思うばかり。

たしかに情報は極端に少ないし、専門家と称する方々やシェフに類するみなさんがこぞってコンビニやファミレスやレトルト食品を大絶賛して、街の小さな手料理を出すお店をけちょんけちょんにけなしまくるのですから、聞いたほうは「そういうものか」と思ってしまうのだろうとは思いますが…。

ピアノは人の言いなりではなく、本当に気に入ったものを側に置きたいものです。