OHHASHIの本

いつもながら情報には疎いマロニエ君ですが、またも人から教えていただいて『OHHASHI 幻の国産ピアノ“オオハシ”を求めて いい音をいつまでも』という本が出ていることを知り、さっそく購入/読了しました。

本棚には『父子二代のピアノ 人 技あればこそ、技 人ありてこそ OHHASHI』というのがあるので、大橋ピアノに関する書籍はこれで二冊目となりますが、発行は新旧いずれも創英社/三省堂書店となっており、これはどうも偶然の一致ではないのでしょう。

大橋幡岩という日本のピアノ史の巨星が成し得たとてつもない数/量の仕事、人柄、その足跡、大橋ピアノ研究所の設立に至る経緯などが簡潔に述べられ、あらためて日本のピアノ界にとって避けて通ることのできない、極めて歴史的な存在であったことがわかります。

読むほどにピアノを作るために生まれてきたような人物ということが伝わり、日本楽器(現ヤマハ)、小野ピアノ、山葉ピアノ研究所、浜松楽器、大橋ピアノ研究所と折々に居場所を変えながら、どこにいってもその冴え渡る能力は常に輝きを失わず、10代前半から84歳で亡くなるまで生涯現役、まさにカリスマであったようです。

また、ピアノだけでなく、工作機械なども多数設計している由で、その能力はピアノという範囲にとどまりません。
目の前に必要や課題があれば当然とばかりに学び、頭が働き、たちどころになんでも作り出して問題を克服できるという、ものづくりの天分に溢れかえった人だったと思います。

ただ根っからの職人であり理想主義であるため、ピアノ製造においても妥協を嫌い、手を抜かず、とことんまでやり抜く厳しい姿勢は、当然ながら利益を優先したい会社と意見が合わなくなり、そのたびに辞職を繰り返し、最後に行き着く先が自身の大橋ピアノ研究所の設立だったことも、まさに必然以外のなにものでもないでしょう。

大橋幡岩はピアノ製作の天才であり、職人原理主義みたいな人だったのかもしれません。
彼に決定的な影響を与えたのはベヒシュタインであり、日本楽器が招聘した技術者であるシュレーゲルによる薫陶は生涯にわたってその根幹を成したようです。

驚くべき仕事は数知れず、通常のピアノ設計/製作以外にも、ピアニストの豊増昇氏の依頼でベーゼンドルファー用の幅の狭い鍵盤一式を作ったり、通常のアップライトの鍵盤の下に、引き出し式でもう一段細い鍵盤が格納された二段鍵盤、あるいは日本楽器時代には奥行き120cmの超小型グランドピアノを試作していたり、戦時統制下ではグライダーのプロペラから部品まで、とにかくなんでもできる万能の製作者なんですね。

また彼は若い頃から「記録魔」だったようで、生涯にわたって書き留められた膨大な資料が残っており、いまだに完全な整理はできていないとのこと、どこを見渡しても、この人は尋常一様な人物ではなかったようです。

幡岩の死後、わずか15年ほどで息子で後継者の巌が急逝したことで、OHHASHIピアノ研究所(いわば)が廃業に追い込まれたことは、残念というありきたりな言葉では言い表すことができない、やるせないような喪失感を覚えます。

たいへん興味深く読ませてもらいましたが、興味深い故の不満も残りました。
というのも、わずか全212ページのうち、大橋幡岩や大橋巌、およびOHHASHIピアノに関する著述は138ページまで、それ以降は24ページにわたってごく一般的なピアノの仕組みの解説となり、さらにデータ、資料が続く構成になっていました。

できればもう少し詳細に、大橋父子や、その手から生まれたピアノに関する深いところを深掘りしていただき、細かく知りたかったところですが、さほど分厚い本でもない中で、本編ともいえる部分は全体のわずか65%に過ぎなかったのは、いかにも残念でというか、「えー、もう終わりー?」というのが正直なところでした。
とくにピアノ関連の本ならいくらでもある「ピアノの仕組み」の章など、あえてこの貴重なOHHASHI本の中に入れ込む必要があったのか疑問です。

また、タイトルはOHHASHIかもしれないけれど、大橋幡岩の名器であるホルーゲルや、いまだにその名が引き継がれて生産されているディアパソンについても、もっと詳細な取材を通して切り込んで欲しかったと思います。
浜松楽器に時代に生まれたディアパソンが、どのような経緯や条件のもとでカワイに生産委託されていったのか、また同じディアパソンでも、浜松楽器時代とカワイでは、どういう特徴や違いがあるかなども、もっと突っ込んだところを書いて欲しかったと思いますので、続編でも出れば嬉しいです。

この本を書かれたのは、ピアニスト/音楽ライターという肩書の長井進之介さんという方です。
まったく存じあげず、ネットで検索してみると、ラジオDJなどマルチな活動をしておられるようで、野球のイチローをインドア派にしたような感じで、いろいろなことに挑戦をされているご様子にお見受けしました。
このような本を上梓されただけでもピアノファンとしては感謝です。


もう少しで読了するというタイミングで、知り合いの技術者さんから電話で聞いた話では、大橋の甥御さんという方が浜松におられてピアノに関わる技術のお仕事をされており、その仕事ぶりは高い信頼に値する見事なものだそうで、幡岩のDNAが実はまだ完全には絶えていないことを知り、なんだかホッとしたような嬉しいような気になりました。