リシャール=アムラン

久しぶりにネットからCDを購入しました。

これという明確な理由があるわけではなく、とくに欲しいと思うCDがさほどなかったことと、すでにあるCDの中から聴き直しをするだけでも途方もない数があって聴くものがなくて困っているわけではないし、一番大きいのは新しい演奏家に対する期待が持てないことかもしれません。

また、慢性的なCD不況故か、リリースされる新譜も激減しており、店舗でもネットでも新譜コーナーには何ヶ月も同じものが並んでいたりと、この先どうなるのか?…といった感じです。
以前は、毎月続々と新譜がリリースされ、興味に任せて買っていたらとてもじゃないけど経済的に追いつかないほどでしたので、この業界も大変な時代になったということがよくわかります。

実際、若いピアニストでも興味を覚える人(つまりCDが出たら買ってみようと思えるという意味)というのはほとんどなく、大体の想像はつくし、もうどうでもいいというのが正直なところ。
そんな中で、わずかに注目していたのが2015年のショパンコンクールで2位になった、カナダのシャルル・リシャール=アムランで、彼のCDはショパン・アルバム(コンクールライヴではないもの)とケベック・ライヴの2枚はそれなりの愛聴盤になっています。

現代の要求を満たす、楽譜に忠実で強すぎない個性の中に、この人のそこはかとない暖か味と親密さがあり、けっして外面をなぞっただけのものではないものを聞き取ることができる、数少ないピアニストだと感じています。

とくにケベック・ライヴに収録されたベートーヴェンのop.55の2つのロンドとエネスコのソナタは、ショパン以外で見せるアムランの好ましい音楽性が窺えるものだと思います。
テクニック的にも申し分なく、しかもそれが決して前面に出ることはなく、あくまでも表現のバックボーンとして控えていることが好ましく、常に信頼感の高い演奏を期待できるのは、聴いていてなにより心地よく感じています。

さて、このアムランはそのショパンコンクールの決勝では2番のコンチェルトを弾きました。
このコンクールでは、決勝で2番を弾いたら優勝できないというジンクスがあるらしく、それを唯一破ったのがダン・タイ・ソンで、入賞後のインタビューで「なぜ2番を弾いたのか?」という質問に、アムランは「1番はまだ弾いたことがなかったから…」というふうに答え、「いずれ1番も練習しなくてはいけない」と言っていましたが、それから3年後の2018年に、そのショパンの2つのコンチェルトを録音したようです。
指揮はケント・ナガノ、モントリオール交響楽団。

前置きが長くなりましたが、今回購入したうちの1枚がこれでした。
添えられた帯には「アムランの芳醇なるショパン。ナガノ&OSMとの情熱のライヴ!」とあるものの、聴くなりキョトンとするほど整いすぎて、まさかライヴだなんて想像もできないようなキッチリすぎる完成度でした。

決して悪い演奏ではないけれど、演奏自体も録音を前提とした安全運転で、マロニエ君にはこれをやられると気分がいっぺんにシラケてしまいます。
演奏というのは、ワクワク感を失って額縁の中の写真のようになった瞬間にその価値がなくなると個人的には思っていますが、こういうものが好きな人もいるのでしょうが、個人的にはとてもがっかりしました。

リシャール=アムランという人は、自分を認めさせようという押し付けがなく、おっとりした人柄からくるかのような好感度の高さがあるけれど、このCDでよくわかったことは、でもキレの良さなどはもう少しあった方がいいということでしょうか。
それから、はじめのショパンのアルバムの時から少し気になっていたけれど、装飾音がいつもドライで情緒がないことは、今回もやはり気にかかりました。
とくにショパンの装飾音は、それが非常に重要な表情の鍵にもなるので、この点は残念な気がします。
初めに感じたことは、時間が経過しても曲が変わっても同じ印象が引き継がれてしまうのは、やはり人それぞれの話し方のようなもので、深いところで持っているクセなんだなぁ…と思います。

それでも全体としてみれば、今の若手の中では好きなほうのピアニストになるとは思います。