ニュウニュウのいま

クラシック倶楽部の視聴から。
ニュウニュウ・ピアノリサイタル、プログラムはショパンの即興曲第2番/第3番、ソナタ第2番、スケルツォ第3番、リストのウィーンの夜会。
2019年6月、会場は神奈川県立音楽堂ですが、無観客なので同ホールでの放送用録画かと思われます。

6月といえば、福岡でも同時期に彼のリサイタルがあって、気が向いたらいってみようかと思っていたけれど(結果的には行かなかったのですが)、上記曲目がすべて含まれるものでした。
NHKのカメラの前での演奏であるほうが気合も入っているだろうし、マロニエ君は実演にこだわるタイプではないから、ただ巡業先の中の演奏のひとつを聴くよりむしろ良かったような気も。

中国人ピアニストといえば、すでにラン・ラン、ユンディ・リ、ユジャ・ワンという有名どころが日の出の勢いで活躍しており、ニュウニュウのイメージとしては、彼らよりもうひとつ若い世代のピアニストといったところ。
いずれも技術的には大変なものがあるものの、心を揺さぶられることはあまりない(と個人的に感じる)中国人ピアニストの中で、マロニエ君がずいぶん昔に唯一期待をかけていたのがニュウニュウでした。

10代の前半にEMIから発売されたショパンのエチュード全曲は、細部の煮詰めの甘さや仕上げの完成度など、いろいろと問題はあったにせよ、この難曲を技術的にものともせずに直感的につかみ、一陣の風が吹きぬけるがごとく弾いてのけたところは、ただの雑技や猿真似ではない天性のセンスが感じられました。
まさに中国の新しい天才といった感じで、うまく育って欲しいと願いましたが、その後ジュリアードに行ったと知って「あー…」と思ったものでした。

個人的な印象ですが、これまでにも数々の天才少年少女がジュリアードに行ってしばらくすると、大半はその輝きが曇り、小さくまとめられた退屈な演奏をする人になってしまうのを何度も目にしていたからです。
さらには俗っぽいステージマナーなどまで身につけるのはがっかりでした。
誰かの口真似ではないけれど、セクシーでなくなるというか、才能で一番大事な発光体みたいな部分を切り落とされてしまうような印象。
そうならなかったのは、五嶋みどりぐらいでしょうか?

冒頭インタビューで、ジュリアードでは舞踊やバレエの友人ができ、彼らから多くのことを学んだと語り、ピアノの演奏も視覚的要素が大切と思うので、演奏には舞踊を取り入れているというような意味のことを語っていました。
ステージに立つ人間である以上、視覚的効果も無視できないというのはわかるけれど、直接的にそれを意識して採り入れるとはどういうことなのか、なんだか嫌な予感が走りました。

で、演奏を視聴してみて感じたことは、音楽家というよりはパフォーマーとして活動の軸足を定めてしまったような印象で、舞踊の要素なんかないほうがいい!としか思いませんでした。
どの曲も危なげなく、よく弾き込まれており、カッチリと仕上がってはいるけれど、そこに生身の、あるいはその瞬間ごとの魅力や表現といったものは感じられず、誰が聴いても大きな不満が出るようなところのない、立派な演奏芸で終わってしまっている印象でした。

また、ニュウニュウに限ったことではありませんが、曲の中に山場や聴きどころのない、全体を破綻なく均等にうまく弾くだけで、ドキッ!とするような魅力的な瞬間といったものがないのは、これからを担う若い演奏家が多く持っている問題点のような気がします。
好きな演奏というのは、ある一カ所もしくは一瞬のために聴き返すようなところがありますが、現在のニュウニュウの演奏は何度も繰り返して聴きたい気持ちにはならないものでした。

音はいささかシャープで温かさが足りないかもしれないけれど、それでもかなりよく楽器を鳴らせる人のようで、この点では上記の4人中随一ではないかと思いました。