アンゲリッシュ

クラシック倶楽部で、今年10月、紀尾井ホールで行われたニコラ・アンゲリッシュのリサイタルの模様を視聴。
曲は、バッハ=ブゾーニのコラール「きたれ、異教徒の救い主よ」とシューマンのクライスレリアーナ。

書くかどうか…実は迷うところではあったのですが、ネタも乏しく、あえて書くことに。

アンゲリッシュという人は、これまで実演を聴いたことはないけれど、いくつかのCDや動画によれば、とくに印象らしいものがない中堅ピアニストということぐらいで、あまり言葉が思い当たらない存在でした。

ところが、ネットでみるとかなりの絶賛ぶりに面食らってしまいます。
とくに宣伝においては、今どきなので、まともに受け取ることもないけれど、別の人のことでは?と思うようなものばかり。
「世界中から引っ張りだこのピアニスト」
「類稀なる鮮烈ピアニズム」
「多くの人に衝撃を与えた」
「アルゲリッチが絶賛!」などと書かれているけれど、彼女は自分が褒めることで他のピアニストを支援するというような使命感があるのか、とにかくだれでもやたらめったら褒めまくる人。
しかも、そのアルゲリッチ自身がインタビューの中で(少なくともマロニエ君が見たものは)アンゲリッシュをほめているのは『スターという感覚はないかもしれないけれど…』と人柄をいっており、演奏そのものを絶賛というようには受け取れませんでした。

プロフィールによると、アンゲリッシュはアメリカ生まれで13歳でパリ国立高等音楽院にいったとあるけれど、マロニエ君の耳には、あまりパリの水で顔を洗った人のようにも聴こえません。

とにかく、どこを切ってもおとなしい優等生のようで、レシピを見ながら真面目に作った料理みたいで、この手はやはりアメリカに多いタイプのような気が…。

この人を聴いていると、ビショップ・コワセヴィッチ、ギャリック・オールソン、エマニュエル・アックスなどに共通するものを感じて、あまりにも平凡、アーティキュレーションが不明瞭で、要するに曲に対してなにをどう目指しているのかも伝わってきません。
それから見れば、クライバーンなどはテールフィン時代のキャディラックのような、ある種の純粋なアメリカの魅力はあったように思います。

アメリカ(出身か育ちかはわからないけれど)という国は、自由のきくエンターテイメントはお得意でも、様式とか約束事の多いクラシックの演奏をもって最高を目指すといったことが体質的に合わない気がするし、その合わないことを努力でやっているからどうしても萎縮するのか、どっちつかずの結果になってしまうような印象。

アメリカ人には世界の超大国としての豊かさやおおらかさが気質としてあり、そこに切羽詰まったものがないからか、クラシックの演奏家でとくに秀逸な人材が育ちにくい国だというイメージがあります。
大戦を逃れて偉大な音楽家が大挙して流入したけれど、それでもどうにもならない壁がある…。

温厚でフレンドリーなのは、仲間として付き合うにはいいのかもしれないけれど、鑑賞として演奏を聴くぶんには(とくにソロは)マロニエ君は相当つらいというか、わざわざ彼である必要が見いだせません。

もちろんアンゲリッシュのような演奏を、奇を衒わず、安心感を持って聴けるとして好まれる方もおいででしょうが、中にはあえてこのタイプの人を賞賛することで、鑑賞者としての自分の慧眼をアピールするというパターンもあったりするから、やはり信じるのは自分の耳しかない。
そういう人達の推奨ネタとして、よくこのタイプの地味で演奏家が推奨される。

そこで混同されがちなのは、真面目で温厚な人柄と演奏評価がごっちゃになること。
個人的にお付き合いする相手ならそれも大事ですが、一介の音楽鑑賞者としは聞こえてくる演奏がすべてだから、ピアニストに演奏以外の要素を求める必要はない。
それより触れれば血がふき出るような才能とか、とにかく音楽のためになにか尋常ではないもの、ときに狂気さえも必要なもの。
プロフェッショナルのステージに凡人の居所はないというのがマロニエ君の考えです。


余談ながら、ネットで見ることのできるアンゲリッシュのプロフィールを見て、かなり驚きました。
出身、学歴、受賞歴はともかく、これまでの共演した指揮者やオーケストラ、ソリスト、参加した音楽祭など、その他さして重要とも思えないようなことまで、信じられない量を書き連ねるのはいかがなものか…。
本人の名前だけでは通用しないことを裏付けているようでもあり、逆効果ではと思いました。

少し話は逸れますが、マロニエ君は名刺に大げさな肩書をズラリと書き並べる人というのが、どうも信用できません。
ご当人にしてみればなによりのご自慢なのでしょうが、見せられた側はハッタリ屋のような印象しか抱けません。

アンゲリッシュがそれだというつもりは毛頭ないけれど、ああいうプロフィールを見たらどうにもシラケてしまい、却って本人の足を引っ張っている気がします。
人にはそれぞれの持って生まれた立ち位置というのがあって、俳優でも、人並み以上の容姿と演技力が備わり人気もあるけど、どうしても主役にはなれない人っていますが、そういうピアニストではないかと思います。