正月休み中、ショパンのノクターンを通して聴きたくなり、ずいぶん久しぶりにダン・タイ・ソンのCDを聴いて過ごしました。
端正でスムーズ、嫌なクセがどこにもないのは、聴いていてまず快適で気持ちがいい。
全編に聴こえてくる肉付きのある温かい音、繊細さを損なわないのに臆さない芯もあるところがこの人らしさでしょうか。
かねてよりマロニエ君は数あるノクターン全集の中でも随一のものだと思っていましたが、いま聴いても(というよりいまのほうがさらに)魅力的で、非常に聴き応えのあるものだと思いました。
昔は、ダン・タイ・ソンの演奏は美しいけれど曲によってムラがあることと、いささか淡白な面があるところが気になっていましたが、今どきのハートのない無機質な演奏を耳にしていると、この人なりの明確な美意識とこまかく行き渡る情熱が裏打ちされており、あらためて感銘を覚えました。
彼のショパンすべてが良いとは思わないけれど、ノクターンはこのピアニストの美点と長所が最も発揮される分野だと思います。
こんなに素晴らしかったかといささか驚きながら、数日間、繰り返し聴きました。
ショパンのノクターン全曲は、それなりにいろいろなピアニストが録音しており、中には「同曲最高の演奏!」のように褒め称えられたものがいくつかありますが、マロニエ君はその評価には同意できないものが少なくありません。
とりわけ評価が取れるのは、いわゆるショパンらしさを捨て去って、無国籍風に、荘重で、劇的に、楽譜に忠実に、レンジを広く取ってピアニスティックな精度を上げて弾けば、おおかた高評価に繋がるイメージです。
ダン・タイ・ソンのノクターン全集は、1986年に日本で録音されたもので34年前ということになりますが、そこにはまだ演奏に対して、ひたむきな表現とそれを認めようとする価値観が支配していた時代だったことが窺えます。
この1980年代、まだ演奏者の個性や人間性が、いかに演奏上の息吹となって表現されてくるか、作品をどう解釈しているか、そのあたりを芸術性として、聴き手も強く求める気風が残っていたことが偲ばれます。
それと、やはりピアノが今のものと違い、無理なくとてもよく鳴っていることは唸らされました。
表面的な派手さみたいなものはなく、むしろ柔らかい音のするピアノなのに、現代のものに比べると深いところからずっしりと鳴っており、全音域にわたって音のエネルギーや迫力がまるで違いました。
今のピアノを聞いていると、いかにも精巧で整ってはいるけれど、音に肉付きがなく、心に響く(残る)ものがない。
もしや、自分がピアノの音をありもしないレベルに理想化し過ぎてしまっているのでは?と疑ったこともありますが、こういう音を聴いてみると、決してそうではないことが明白でした。
1986年録音ということは、必然的にそれ以前に製造されたピアノで、かといって1960年代ごろのピアノには感じない洗練や緻密さもあるから、おそらくは80年台の前半の楽器ではないかと(勝手に)思います。
ヴィンテージを別にすれば、個人的には一番好きな時代のスタインウェイです。
その時代の空気、そこに生きるピアニスト、楽器、そして作品となにもかもが揃っていたというか、端的に言って、音楽も昔はずっと贅沢で美食だったんだなぁと思いました。