シフの協奏曲-1

昨年11月、東京オペラシティーで2日間にわたって開催された、アンドラーシュ・シフ&カペラ・アンドレア・バルカによる、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲演奏会の様子がEテレのクラシック音楽館で、2週にわたり放送されました。

実際の演奏会は、一日目が第2番、第3番、第4番、二日目が第1番、第5番というものだったようですが、放送順は逆でした。

その感想をブログに書こうと思っていたので、インタビューから演奏まですべてを視聴しましたが、約4時間という長丁場もさることながら、必ずしもマロニエ君にとって好みの演奏ではなかったこともあり、正直「時の経つのも忘れて楽しむ」というわけにもゆかず、むしろ頑張って見たというのが正直なところ。

まず全体を通しての、率直な印象でいうと、この人は必ずしもベートーヴェン向きの人ではないと思うし、さらには協奏曲向きの人ではないということでしょうか。

バッハのソロであれだけの見事な演奏を聴かせる人だから、シフは現代のピアニストの中でも屈指の存在だとは思うけれども、やはり演奏家というものは、自分に合った作品をもう少し厳選して欲しい…というか「すべき」だと思います。
この人は端然としながら確信にみちた演奏をする反面、曲によってはかなり面食らうような演奏もするから、波長の合った作品では右に出るもののない素晴らしさで聴く者を魅了するけれど、それがいつも期待通りに安定しているわけではありません。

むかしむかし、シフの素晴らしさに気づいたのはメンデルスゾーンの無言歌集であったし、決定的だったのはいうまでもなく一連のバッハ録音でした。
バッハは、ごく初期(録音が)のものは固さと慎重さが隠せなかったけれど、次第にツボにはまってこのピアニストの魅力が滲み出るものとなり、さらに後年2回目のバッハに至っては、各声部は代わる代わるに自在かつ即興的に飛び交い、まさ新境地を打ち立てたと言えるでしょう。
シューベルトのソナタでも、彼の人格そのもののような解釈で朗々と歌い出され、ある種とらえ難いシューベルト作品もシフの手にかかると、明瞭な意味と言語で視界がひらけて、あたかも曲自身の意志で流れ出すようでした。

いっぽう、あれ?と思ったのはモーツァルトがそれほどとは思えないものであったり、スカルラッティなどもいまいちで、こんなにもムラがあるのかと首をかしげることもしばしばでした。
とはいえ、近年の録音や動画で接した一連のバッハの素晴らしさは、そういう不満を吹き飛ばすほど素晴らしいもので、まさにバッハ演奏によって現代の巨匠の位置にまで駆け上がったように思います。

しかしながら、この人は、自分に合ったもの、自分が得意なものだけえは満足しないのか、シューマンなどのロマン派にも手を出し、さらにはベートーヴェン・ソナタ全曲にも挑み始めましたが、どこぞのステーキ店ではないけれど、いささか急速な事業展開をしすぎでは?という気がしなくもありませんでした。
そのうちのいくつかのソナタやディアベッリ変奏曲を聴いてみましたが、個人的にはバッハのような感銘を得るには至りませんでした。

シフ自身は自分のベートーヴェンをどのように思っているのだろうと思います。
世の中には、どんどんレパートリーを増やしていくピアニストもいれば、しだいにレパートリーを特定のものだけに絞って若いころ弾いたものでも弾かなくなってしまう人がいますが、シフは一見とても慎ましいイメージがあるけれど、レパートリーに関しては大胆な挑戦者であることを望んでいるようにも思えます。


とにかく、マロニエ君としては、このピアニストにベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲演奏というのは、さほど食指が動かずCDも未購入でしたが、実際聴いてみて、やはり!というのが率直なところ。

ちなみに、カペラ・アンドレア・バルカというオーケストラは、アンドラーシュ・シフのシフが小舟という意味であることから、それをイタリア語に置き換えてアンドレア・バルカとなっている由。
シフの聖歌隊とでもいうのかどうか知らないけれど、シフの呼びかけで集まる非常設のアンサンブルのようで、名前からして彼が好きにやれる室内オーケストラということなんでしょう。

ネットによれば、今回はベートーヴェンの協奏曲を携えてのアジアツアーというものだったようで、全12公演、うち5回が日本、それ以外は中韓の各都市を回ったようです。
本人の言葉によればソナタの全曲演奏もすでに27回!!!もおこなっているというのですから、誠実で物静かな音楽家というイメージの裏側に、かなりの精力的なマグマがうごめいているのかもしれません。

つい長くなったので、続きは次回に。