1970年代のピアノ

BSクラシック倶楽部の録画から、佐藤卓史氏のピアノリサイタルを見てみました。

2018年6月1日、軽井沢大賀ホールでおこなわれた公演で、プログラムはシューベルト:楽興の時、ショパン:幻想即興曲/舟歌/英雄。

よく知らない方なのでネットで調べたら、芸大出身、ドイツなどの留学を経て、コンクールで入賞するなど、いわゆる日本人によくある王道を歩んでこられた方のようでした。
ホームページによれば、ライフワークとしてシューベルトのピアノ曲全曲演奏に取り組んでおられる由。

いかにもその経歴が納得という感じの堅い調子の演奏で、遊び心や微笑みといった要素は感じないけれども、カチッとしたスーツみたいな演奏を求める方には好まれるタイプのピアニストなんでしょうね。
ただ、シューベルトをライフワークとれているようだけれども、個人的にはもっとメロディのラインのおもしろみであったり、デリケートな呼吸の要素に気配りされたシューベルトのほうが聴きたいなぁというのも正直なところ。

ショパンも同様にいかつく、香り立つような要素は見い出せない印象でした。

インタビューでは、シューベルトもショパンも大きな会場で弾くよりは、サロンなど親しい友人などの前で演奏することを好んだ人達だから、このコンサートでも、聴衆の一人ひとりと親密なコンタクトを取るような演奏をしたいし、そのように聞いて欲しい、というようなことを言われていましたが、拙いマロニエ君の耳にはそのような演奏には聞こえず、むしろ大向うを狙った技巧主導型の演奏に思えました。

インタビューでの話の内容と実際の演奏が、合致していないように感じるのはよくあることですが…。


マロニエ君の記憶がまちがっていなければ、ずいぶん昔にミケランジェリが来日公演の折に持ち込んで置いて帰ったスタインウェイというのがあって、この会場のピアノは、それではないかと思いました。
軽井沢大賀ホールには、そういうピアノがあるというようなことを聞いたことがありました。

〜とここでネット調べてみると、やはりそのようでした。
ホームページにはNo.427700で1972年製とありますが、以前このブログ(2019.8.14)で正しいシリアルナンバーはエンディングナンバーとして判断すると、1973年製ということになるのかもしれません。

足などは新しい物に交換されているものの、鍵盤両脇の椀木のカーブの形状なども80年代以降のものとは微妙に異なるし、フレームのダンパーに近いあたりの上部にはエンボスの文字などが配されているのも、この時代までの特徴。

やはり、1970年台までのスタインウェイは、いい意味での素朴さがあり、ふくよかで厚みと太さがあります。
今のピアノは、どんな弾き方をしても華麗なサウンドでそれらしく鳴ってあげますよという一種の媚びがあり、一見奏者を選ばぬ許容量があるかのようですが、裏を返せばやたらピアノが前に出て、ピアニストや演奏を立てるというスタンスが失われている気もします。

その点で、この時代のスタインウェイは、パワーも表現力も非常にスケールの大きなものを秘めているけれど、主役はあくまでもピアニストであり音楽であり、ピアノは一歩引いた位置にあり、その潜在力を引き出すのはピアニストの技量や情熱に任されている感じ。

その点、スタインウェイに限らず今のピアノは表面的に音がきれいすぎて、整いすぎて、表現が悪いけれどそれがウザい。
それに対してこの時代のピアノは、一見おだやかそうにしているけれど、内側にはたくましい骨格と胸板と筋肉をもっており、ピアニストの扱い方ひとつで、詩人にもなればホール全体に嵐をも巻き起こせる可能性を秘めており、コンサートピアノはそうあってほしいものだと思いました。

ピアニストにとっても本当にいい演奏をしようと奮起するのは、やはりこういうピアノが現役を張った時代なのではないかと思いました。