武家の奥方

BSプレミアム・クラシック倶楽部の録画から、田部京子ピアノリサイタルを視聴。
2019年12月浜離宮朝日ホール、シューマン:子供の情景より4曲、ブラームス:ピアノ・ソナタ第3番。

田部さんのピアノは、すみずみまで掃除したての部屋みたいにきれいだけれども、どこかひんやりよそよそしさを感じるところが個人的には気になります。
あれほど型くずれもなく、ほとんどミスもなく正確に弾けるということは尊敬に値することですが、音楽・演奏に触れる醍醐味がそれで足りているのかとなると、どうなんでしょう。

ひとつ前にHJ LIMについて書きましたが、なにもかもが真逆とでもいうべきピアニスト。

それはシューマンの第1曲「知らない国々」のようなシンプルな曲がはじまった瞬間からも、ひしひしと伝わります。
たとえば、演奏に欠かせないもののひとつは呼吸だと思うけれど、田部さんのピアノには、むしろ呼吸という生々しいものを消し去ったところにある、なにかの細工物のような、端然とした佇まいといったイメージを覚えます。

慎ましやかで、愚痴をこぼさず、弱音を吐かず、しかも毅然と大きなものに挑んでゆく覚悟が秘められていて、まるでむかしの武家の奥方を思わせるような演奏。

ブラームスの3番のソナタのような曲を選び、準備し、コンサートのプログラムにあげるところにも決然とした気概のようなものを感じるし、何を弾いても終始一貫そのスタンスは変わらない。
解釈もアーティキュレーションも、少しもくせがなくて教科書的で、それをいかなる場合にも艶のある美音が支えている世界、それに徹することが田部さんの演奏家としての責任であり誠意なのかもしれません。

田部さんが楽壇に登場した頃は、大器などという言葉が使われたときもあったけれど、マロニエ君に言わせると、いかにも日本でピアノをやった人の美点を受け継ぐ人のようで、修練を重ねた手習いの成果のような、良い意味での日本人的な注意深い仕事ぶりを見る気がします。

それは見た目にも現れているというべきか、立ち居振る舞い、演奏する姿から衣装、人形のように見事に仕上がったヘアスタイルまで、すべてに細やかで一点のほころびもない完成度があり、これが田部さんの好む世界なんだろうと思われます。

どの曲においても、高い縫製技術で仕上げられたような信頼性がある。
そこには音楽を聴くワクワク感とはべつのもの、…あたかも口数の少ない人の話をじっと聞かされているようで、それはそれでひとつの個性なのかもしれません。
それでも、ブラームスの終楽章では、一種の到達の感動が得られたことは事実でした。


ピアノはそう新しくはない、おそらく1990年前後のスタインウェイのように見えましたが、いいピアノでした。

ネットによれば浜離宮朝日ホールは1992年のオープンとありますから、開館時に納入されたピアノだとすると27〜28年前ということになりますが、軽井沢の大賀ホールのスタインウェイとは明らかに世代が異なり、より現代的な要素を含みながら、それでもまだまだ「らしさ」が強く残っていた時代で、やはり今のものより格段に好みだと思いました。

それにしても、ブラームス・ピアノ・ソナタ第3番というのは、正直いわせてもらうと何回聴いてもダサい作品だと思ってしまいます。
随所にブラームスならではの味わい深い瞬間があるのはわかるけれども、全体を通して聴くと、やたら仰々しいものに付き合わされた気分のほうが勝ってしまい、もしかしてシンフォニーの下書きじゃないのか!?などと思います。

壮年期のポリーニあたりなら、壮大なピアノ作品として納得せざるを得ないような演奏をしたのかもしれませんが。