新型コロナウイルスの騒ぎは日々拡大し、深刻さの度合いを増しているようで、困ったことになりました。
くわえてしんどいのは、収束の見通しなど、先が読めないことでしょうか。
このような危難に際して、一市民としては日々の情報には敏感でなくてはいけないとは思うのですが、連日にわたり朝から晩までコロナ関連の報道を浴びせられていると、それだけでも気分は滅入り疲れきってしまいます。
ウイルスという目に見えない敵を相手にするのは、最も陰湿な戦いを強いられているようなもので、世にはびこるのは不安と疑心暗鬼。
マロニエ君のように情報に対して常に周回遅れの人間にとっては、気づいた時にはもうマスクなど買えるはずもなく、スーパーに行った際に薬局などをいちおう覗いてはみるものの、どこも棚はガランとして品物はなく、「入荷の目処は立っていません」みたいな紙がプラプラと下がっているだけ。
たった一度だけ、偶然だったのか無いはずの棚に7枚入りのマスクがほんの少しあって、本能的に手を伸ばしてゾワゾワするような気持ちでレジに持って行き、どうにか購入できたことがありますが、それも支払いが済んだ時には、次々に人の手にとられて、あっという間になくなりました。
あとは家にあったわずかな買い置きのマスクをかき集めて、これをなんとか大事に使うのが関の山で、ここ最近ではマスクをなんとか手に入れようという意欲も失いました。
隔離、封鎖、さらには非常事態宣言などという言葉も、なんともいえず心に重くのしかかるというか、いやでも絶望的な気分にさせられます。
世の中のイベントやら経済活動やら、あらゆる「動き」が自粛や中止となり、社会が一気に沈鬱な色に。
さらに個人的には、追い打ちをかけたのがティッシュペーパーやトイレットペーパーの類が一斉に店頭から消えてしまったこと。
マロニエ君はちょっとしたストック癖みたいなものを抱えているために、これは人の何倍もダメージを感じます。
はじめの頃、大型スーパーで人目もはばからず大量買いしていく人達の動画がSNSでアップされ、これが非難の的になりましたが、たしかにあれは見ていて気持ちのいいものではありませんでした。
でも、だからといって、それをネットなどで非難する論調も、やたら正義正論の拳をふりかざして、個人的にはちょっといただけない響きがありました。
デマに乗せられて行動する人達を、エゴの権化、愚の骨頂、社会の恥のように厳しく言い立てて批判してますが、人は恐怖にかられたときに、そんなに冷静にデマと真実の見分けなんてつくのか?と思います。
ティッシュペーパーやトイレットペーパーが無いことが多くの人達のトラウマになり、いまだになかなか買えませんし、こう言っては申し訳ないけれど、うちに少しの買い置きはあっても、もし売っていれば…やっぱり買うと思います。
マロニエ君宅は先月、タイミング的に調律を控えていたのですが、このコロナ騒動のせいか、調律師さんもパッタリ連絡してこられず、きっと気を遣って遠慮しておられるんだろうと思います。
なんとなく、そんなことやってる場合じゃない!みたいな空気なので、どうしたものかという感じです。
驚いたのは、テレビで専門家が言っていましたが、アメリカの古くからの風習では、ウイルスが流行るとなんとかいうパーティーをやって、人が集まってわざと感染するんだとか。
これは薬など容易になかった時代からの知恵なんだそうで、一度感染すれば抗体ができて却って安心という、なんとも荒っぽい(でも理に適った?)やり方のようで、びっくり。
欧米は今でも基本的に風邪やインフルエンザでは病院に行く習慣がなく(医療費が日本のように安くないこともあり)、一部では今でも残っている風習というのですから、なんとたくましいことかと唸りました。