フランソワ・デュモン

新型コロナウイルスはますます猛威を振るって、いったいどうなるのかと、世界中が不安で厳しい日々を送っています。
TVニュースなどをつけていると、収束はおろか、日々怪物が巨大化していくようで、たまりません。
ブログでまでコロナコロナと喚いても仕方がないので、いつもの話題に。


またも期待してCDが外れました。

マロニエ君が好ましく思っているピアニストの中にフランソワ・デュモンがいます。
彼は2010年のショパンコンクールで第5位になったフランスのピアニスト。

第1位のアヴデーエワ以下、ゲニューシャス、トリフォノフ、ボシャノフと精鋭が並ぶ中、個人的には最も情感というコンクールではあまり期待できないものを感じ、聴いていて気持ちが乗っていけるショパンを演奏したピアニストということで、このデュモンの今後には期待していました。

純粋に技巧だけなら、4位以上の面々のほうが上かもしれないけれど、コンクールのライブCDを聴いていて、この人には他のコンテスタントにはないショパンの香りがあって、やはりフランスという国はさすがだなあと思ったし、何度も聞いてみたくなる唯一の人でした。

しかし、その後は期待されるほどのCDもリリースされず、わずかにラヴェルのピアノ曲集などを愛聴していましたが、やはりこの人にはショパンを弾いて欲しいと思っていました。

それから10年も経って、ようやく彼がショパンの21のノクターンをリリースしているのを知り、おお!!!というわけで、直ちに購入と思いましたが、あまり知名度がないためなのか、どこも「在庫なし/入荷予定不明」という状況。
今年のはじめに数カ月待ち覚悟で発注していたところ、さきごろ入荷のお知らせメールが届いて、ほどなく手許に。

期待に胸をふくらませながら聴いてみると…、ん???
第1番から固くこわばった感じで、なんだかいやな気配がよぎりました。
経験的に、良い演奏かどうか、少なくとも自分の好みかどうかは聴きはじめのごく短時間で決まってしまうので、好ましいものはすずしい空気を吸い込むように、ストレスなく耳に身体に入ってくるもの。

このCDで聴くデュモンは、ショパンコンクールでみせたみずみずしい語りかけや、詩的なものが随所に見え隠れするような絶妙さはなく、よくありがちな型通りの演奏で、この人ほんらいの良さがまるで出ていない印象でした。
必要なゆらぎやデフォルメがまったくない、プロなら誰でも弾けるような、取り立ててケチをつけるようなところもない…というだけのワクワクしない演奏。

マロニエ君が期待していたものは、あくまでもデュモンその人が感じたままのショパンであること。
それがほとんど感じられなかったのは、いったいどういうわけなのか。

とくにノクターンは、歌いこみのデリケートなイントネーションやアクセント、一瞬ごとの奏者の感性を受け取るところに醍醐味があると思っていますが、そういうものを丁寧に伝えようとする演奏ではなく、あくまでグローバル基準に舵を切ったような弾き方でした。
フランス語の多少はエゴもある演奏でいいのに、無理に英語を喋って常識的に振る舞おうとしているようで、だったらわざわざ長い時間待ってまでゲットする必要もなかったのにと思うばかりです。

現代のピアニストは売れるために個性を捨て、個性を捨てるから埋没するというジレンマに陥っているのかもしれません。

このデュモンのノクターン全集、いいところももちろんあるにはあるけれど、全体を通して何度か聴いてみて、後味として残るのはあくまで「普通」でしかありませんでした。
個性ある演奏家も、その個性を消さないといけないのだとすると、コンクールの基準は独り立ちしたあとのピアニストにもずっとついてまわるようで、それって何かが間違っている気がします。

間違っているとは思うけれども、世の趨勢というものには逆らえないものなんでしょうね…。