BOXセット2

例えばヘンスラーのバッハ大全集は、びっしり並ぶ172枚のCDにJ.S.バッハのほぼすべての作品が収録されており、これを聴くだけで数ヶ月を要しました。
ほかにもフルトヴェングラー107枚、モーツァルト全集170枚、グラモフォンのブラームス46枚、ブルーノ・ワルター39枚といった具合で、マロニエ君は「1枚のCDを1度聴いたら、ハイつぎ!」という聴き方ではないので、1セット聴くだけで大河ドラマ級の仕事になります。
いやいや、大河ドラマはたかだか週に1回45分ですが、CD・BOXセットの場合はほぼ毎日だから、時間的には桁違いです。

しかも、ひたすらそれだけを聴き続けることは精神的にしんどいし、自分なりの清新な気分を保つためにも、ときどき途中下車しながらのペースなので、そうなるとこれがもうなかなか進みません。

ごく最近もエラートのパイヤール全集133枚をようやく聴き終えて、ふだん耳にすることもない大量のバロック音楽に触れることはできたものの、正直、途中で疲れてきたのも事実で、ほぼ3ヶ月以上聴き続けてやっと終わった時にはもうお腹いっぱい、しばらくは結構となってしまいました。

フランス系で思い出しましたが、ミシェル・プラッソンのBOXセットも大量で、その時はめずらしいフランスの管弦楽曲漬けになっていたのに、今振り返ればそれっきりだし、本当は恥ずかしくて書きたくないけれどカラヤンのEMIの全集というのがまたとてつもない量で、これはカラヤンというのが続かずに途中棄権したまま。

こうしてみるとマロニエ君はピアノマニアのわりにBOXセットではピアノ以外のジャンルばかり買っているようです。
ピアノでセット物といえば、ずいぶん昔ですが、GREAT PIANISTS OF THE 20th CENTURYという、とんでもなく壮大なセットが販売されたことがありました。
しかもこれ、最近のように既存の音源を片っ端からBOXセットにして投げ売りするよりずっと前のことで、むしろ「いいものを作れば高くても売れる」という考えがまだ通用していた時代の、いわば入魂の豪華セットでした。

たしかスタインウェイ社が主導して、20世紀の偉大なピアニストを70人ぐらいを選び出して、その名演を集めたセット。
音源はレーベルを超えて集められており、立派な取っ手がついた小さなスーツケースのような専用ケース2つに収められ、一人のピアニストにつき2枚〜6枚で、計200枚ぐらいのセットでした。
当時からその70人余の選定には異論もあり、個人的にはタチアナ・ニコラーエワが入っていないことは納得できませんでしたし、日本人で選ばれたのは内田光子ただ一人でした(これは当然だと思うけれど)。

かなり高額でしたが、これはどんな無理をしてでもゲットしなくてはという意気込みから買ってみたものの、全部聴いたのかといえば、それは未だに果たせていません。
ゲットしたことで達成感にひたってしまい、たしか1/3も聴いていないと思います。
今もピアノの足下の薄暗いところに、ドカンとふたつのトランク状のBOXが重ねられており、そろそろこれを引っ張りだして順次聴いていこうかとも思いますが、なかなか着手には至りません。

それはともかく、多くの音楽・演奏を幅広く聴くことも大事だとは思うけれど、前回書いた通り、一つの演奏(アルバム)を繰り返し集中して聴くことのほうが、やっぱり得るものは大きいし、大事なものが残るような気がするのは事実です。

LPの時代、1枚のレコードを擦り切れるまで聴いたというような話は昔よくある事だったようですが、そうして得たものはその人の心に深く刻みつけられ、無形の精神的な財産や教養になっていると思います。

そんな吸収の仕方というか、限られた環境で貴重な音楽に接するときの気分というものは、今のようにデータの洪水の時代にはあるはずもなく、だからみんな知識はあっても器が小さく、却って無知で底が浅いのはやむを得ないことだと思われます。
人から聞いた話では、月に1000円ほどを支払えば、ネットで世に存在する大半のCD音源が際限なく聴けるそうですが、表現が難しいけれど、こういう物事が元も子もないような便利さと、音楽を聴くという喜びとか精神的充足感は、どこか根本のところでまったく相容れないものがあるようにも思い、それを利用しようとは思いません。

いくら高価な珍味でも、バスタブいっぱいキャビアがあったら食べる気にもなりませんよね。
CDのBOXセットは、それでもまだ自分でお金を出して買うだけマシかもしれませんが、それでも有難味という点では価値が薄れていくという危険は大いに孕んでいると思います。