『ピアノの近代史──技術革新、世界市場、日本の発展』井上さつき著(中央公論新社)を読みました。
内容としては「ヤマハを中心とするピアノの近代史」といった印象でした。
世界のピアノ史では、まずはじめにお約束のようにイタリアのクリストフォリが強弱のつけられるフォルテピアノを発明したところからはじまりますが、日本のピアノ製造史で必ず述べられるのが、明治の中頃、浜松の小学校にあるオルガンの修理が必要となり、白羽の矢が立ったのが機械修理職人の山葉寅楠だったというところから始まるのがほぼ通例。
この寅楠とオルガンの出会いが日本の楽器製作の夜明けとなり、見よう見まねでのオルガンを作り、それはやがてピアノ製造へとなり、途中世界大戦を経るもののそれでもなお躍進を続け、ついには世界を席巻するまでになる楽器製造のサクセスストーリーとでもいっていいかもしれません。
ただ、マロニエ君のようなピアノマニアとしては、日本のピアノの近代史となれば、今はなきメーカーが生み出した名品などにも少しは触れられているものかと期待していましたが、ここでは専らヤマハとカワイの企業史のような内容でした。
日本のピアノ史を語る以上、触れない訳にはいかないメーカーはいくつかあると思うのですが、そのあたりがスルーされていたのは残念でした。
この本を読み終わって最も強く印象に残ったのは、ヤマハとカワイという二大メーカーは、モデル構成から価格帯まで酷似しているものの、それぞれの創業の精神というか、出発時点での企業理念はかなり違っていたんだなあ…と思われることでしょうか。
ヤマハは創業者のはじめの第一歩から、西洋楽器という非常に高価なものを国産化し大量生産することに大きなビジネスの可能性を見出していたのに対し、カワイの創業者はあくまでクラフトマンシップの職人気質であり、優れたピアノづくりを追求する人だったようです。
山葉寅楠は大正5年に亡くなっており、活躍の大半を明治時代で過ごした人ですが、楽器製造以外にも様々な業種に手を伸ばすマルチな経営者であったのに対し、河合小市はピアノ一筋。
戦時下でピアノが作れないときでも、ヤマハは飛行機のプロペラなどいかようにも時局に対応していたのに対し、カワイはピアノ以外のものを作って窮状をしのぐことも工場を疎開することも嫌がり、ついには空襲により全焼。
戦後ピアノ製造が復活した際は、完成品はすべて小市が検品をして、すこしでも納得がいかないと工場へ押し返したんだとか。
経営者としてどちらが正しいのかはマロニエ君にはわかりませんが、どちらのピアノに心惹かれるかといえば、それはやはり小市のような人の作るピアノであることは偽らざるところ。
そもそも、戦前のヤマハを現場で支えた重要なひとりが「天才小市」と言われた河合小市だったのですから、それもまあ納得です。
そういう違いは、100年の時を経て世界に君臨するピアノメーカーになっても、両社の最も底の部分に流れているものは変わっていないと感じます。
ヤマハが楽器の総合メーカーであるだけでなく、オートバイその他まで幅広く作っているのも、寅楠のキャラクターと無関係とは思えないし、小市のピアノづくりに回帰したというSKシリーズの誕生なども、その精神の現れなのかもしれません。
もちろんどんな世界にも文字にできないような事もたくさんあったでしょうし、企業というのはきれい事では済まない闇の部分もあるから、事はそう単純ではないとは思いますが、何がいいたいかというと企業体質というのは間違いなくあるわけで、それは容易く変わるものではないということと、その製品には必ずその体質・体臭みたいなものが投影されているということでしょうか。
使う側も、そこは知識や理屈ではなしに、肌感覚で感じるものです。
ちなみに、小市のピアノは深くまろやかなトーンで、一時はそれが時代に合わないとされたそうですが、そこに再び回帰し、復活させるべく生まれたのがSKシリーズだそうです。