先日のNHKの『らららクラシック』では、なんとも不気味なものを見せられました。
「AI音楽の特集 テクノロジーと音楽」というタイトルで、現在、AIがどれだけ音楽の世界に入ってきているかをざっと紹介する内容でした。
昨年末、AI美空ひばりというのがあったように、AIという技術革新によって、これまで思いもしなかったような可能性が広がっているということのようですが、個人的にはその技術には驚きつつも、どうにも後味のスッキリしないものだけが残りました。
このコロナ禍でリモート合奏するなどの使い方はあると思いますが、ドイツ・フライブルクにある音大では入試もリモートで、海外で演奏するピアノと音大のピアノをAIで繋いで演奏判定をやっており、今後の試験のあり方も変わっていくかも…というようなことで、いきなり唖然。
これで合格したら、そのときは実際にドイツに移り住んで学校に通うのか、そうではないのか、もうまったくわからない。
スタジオでは、グレン・グールドの演奏特徴を盛り込んだAIが、グールドが生前演奏していない曲としてフィッシャーの「音楽のパルナッスム山」から、というのが披露されました。
そのための装置を組み込んだヤマハピアノを使って無人演奏が行われましたが、なんとなくグールド風というだけで、本人が現れて目の前のピアノをかき鳴らしているような感覚になれるのかと思ったら、結果はほど遠いものでした。
なによりもまず、あの天才のオーラがまったくない。
タッチにはエネルギーも熱気もないし、いっさいのはみ出しや冒険がない、ただのきれいなグールド風な音の羅列としか思えないものでした。
名人の演奏とは、その場その瞬間ごとのいわば反応と結果の連続であり、どうなるかわからない未知の部分や毒さえも含んでいるもの。
鑑賞者はその過程にハラハラドキドキするものですが、それがまったくゼロ。
スタジオにゲスト出演していた、この道のエキスパートらしい渋谷慶一郎氏をもってしても「本物には狂気があるから、AIにそれができるようになたらおもしろいことになる」というような意味のことを云われていましたが、それが精一杯の表現だったと思います。
ほかには、やはりヤマハの開発で人工知能合奏システムというものがあり、生のヴァイオリニストのまわりにたくさんのマイクを立て、それを拾って、瞬時に解析しながら傍らのピアノからピアノパートが演奏されるというもので、共演者のテンポや揺らぎなどにも自在に対応するというもの。
演奏したヴァイオリニストも「違和感なく弾けた」とこれを肯定しており、渋谷慶一郎氏なども「音大生はみんな上手くなると思う」とポジティブなことを仰っていました。
たしかに、どんなテンポでも間合いでもAIが文句も言わず合わせてくれて、しかも機械だから疲れ知らずで、無限に付き合ってくれるという点はそうかもしれません。
でも、マロニエ君としては、手段がどうであれ出てくる音は整ってはいるけれど音楽として聴こえず、どうにも受け容れがたいものがあります。
新しい物を受け容れないのは、印象派の画家達が当初まったく見向きもされなかったことや、春の祭典の初演が大ブーイングとなった先例があるように、その真価が理解できず、固定概念に凝り固まった人特有の拒絶反応だと云われそうですが、それとこれとが共通したこととは思えないし、もちろんマロニエ君は固陋な保守派であっても一向に構いません。
いやなものはいやなだけ。
AIが共演者の音を拾って反応するということは、この場合ピアノの演奏が先を走ったり共演者を引っ張ることはなく、あくまでもヴァイオリンの脇役として影のようについてまわるだけとなります。
すると、終始自己中でいいわけで、相手と合わせる技術やセンスというのは磨かれないのでは?
ピアノ伴奏を人に頼む面倒もなく、便利というのはそうかもしれません。
でも芸術って便利なら良いの?という問題にも突き当たります。
また、作曲ソフトなるものもあり、AIが4つの旋律などを候補として提示して、その中から選んでくっつけたり貼り合わせたりするのだそうで、これがスマホアプリのお遊びならいいけれど、作曲家の創作行為の新しい可能性というようなことになってくると、それを肯定し賞賛する言葉や理屈はどれだけつけられても、要はコピペみたいな作品としか思えませんし、こんなことをしていたら、最後は全部AIに任せればいいじゃんということになりはしないかと思います。
今はまだ発展の過程だから生身の人間が主役になっているけれど、やがてAIとAIが合奏し、曲もAIが作るようになり、人間の出る幕はなくなるとしか思えませんでした。
クリエイティブな世界に身を置く人達は、AIのような時代の先端テクノロジーは受け容れるスタンスをとるフリをしないと、視野の狭い頭の凝り固まった人間と思われるのが怖くて、なかなか否定するわけにもいかないのだろうとも思います。
AIに頼めば、バッハのゴルトベルクに100のバリーションを作ることも、ベートーヴェンの交響曲第10番を生み出させたり、ショパンのバラードの第5番でも第6番でも増やすことは可能なんでしょう。
でも、そんなものはおもしろいのは初めだけ、後世に残る遺産になる訳がない。
テクノロジーの進歩という側面では驚嘆はするし、そこに拍手は贈りますが、そんなにすごい能力があるのなら、まずはコロナウイルスの特効薬でも作って欲しいものです。