ベーゼンドルファー280

過日のNHK-Eテレ『クラシック音楽館』では、後半にアンドラーシュ・シフによるベートーヴェンが放映されました。
このコロナの時期、もしや日本においでになるのか、夫人の塩川悠子さんもご一緒でしたが、いかにもNHKのスタジオ収録という感じであったし、新しいベーゼンドルファーを使って「告別」が演奏されました。

ヤマハの子会社となってからのベーゼンドルファーについては賛否さまざまあるようですが、この時のピアノは旧275の後継ともいえる280(うしろにVCというのがつくものもあるようですが、その違いが何であるかはしりません)でしたが、これはこれでとても良いピアノだと思いました。

以前のベーゼンドルファーは、素晴らしく良い時とあまりそうは思えない(マロニエ君の主観)ときのばらつきが多く、ハッとするような純粋でこれ以上ないような美しい音を聴かせることがあるかと思えば、一転して蓮っ葉な品のない音であったり、虚弱な感じで鳴りがイマイチな感じを受けることも珍しくはありませんでした。
また、繊細といえば聞こえはいいですが、とても現代のホールでのソロには向かないというような楽器もあるなど、コンサートピアノとしては不安定という印象を持っていました。
さらに楽器の個性も強く、曲を選ぶところもあって、ピアニストがいつでも安心して弾ける、あるいはまた聴衆が安心して聴けるピアノというには、いささか問題も抱えているようにも思っていました。

それがこの新しい280では、上記のようなマイナス面がかなり克服されており、ベーゼンドルファーのヨーロッパ的なトーンと気品はそのままに、ほどよいパワーと現代性を備え、これなら安心してステージに載せられるピアノになったと思いました。

シフの演奏もこの時は好調で、コンチェルトの全曲演奏とか後期のソナタ、あるいは熱情やワルトシュタインでは物足りない場面もあったけれど、この中期の中では後期寄りの作ともいえる「告別」では、シフの美点が活かされて、ピアノの音とあわせて素敵な演奏が聞けたと思いました。
そういえば、コンチェルトの時のアンコールの「テレーゼ」も非常にチャーミングな演奏で、この人はこういう音数が多すぎず、リリカルな要素を随所に必要とするような曲を弾かせたら、最良の面が出るのだと思います。

それはいいけれど(以前にも書いたことがあること)最近はピアノの大屋根を、本来の角度よりもさらに上まで大きく開けるということが流行っているようで、あれは個人的には賛同しかねます。
そのための茶色の長い棒まであるようで、本来の突上棒を取り外し、付け替えて使うことが今のトレンドなのかどうかしらないけれど、見るからに無様で、大屋根が開かれすぎたピアノは、フォルムも崩れて見ちゃいられません。

アンスネスの日本公演で見たのが始まりでしたが、最近は海外でもしばしば見受けられ、キーシンのような深いタッチの人さえそれで弾いていたりと、これはあきらかに何らかの効果が見込まれてのことだということでしょう。

ピアノを不格好に見せるのが目的のはずはないから、もっぱら音の問題だろうと思います。
従来の角度より広く開けることで、音が上下方向に立体的に広がる、あるいは大屋根に反射して派手さがでるとかエッジの効いた音になるなど、おそらくは様々な実験を通じて何らかの効果が立証されたんでしょうね。

マロニエ君の印象としては、たしかに音が生々しくなり、滑舌が良くなり、いかにもパワーアップしたピアノのようになるといえばいえないこともない。
しかし、音が妙に直線的で、深みがなくなり、ピアノをホールで聞く際の音響としてのゆらぎとか膨らみがなくなるようにも思われます。

今回のシフでは、スタジオ収録にもかかわらず、この茶色くて長い突上棒が使われており、あれはなんだかいやだなぁ…と思います。
心配なのは、これが常態化してくると、メーカーのほうでも忖度して、この長めの突上棒を標準で取り付けてくる可能性があるんじゃないかと思うと、そんなことにだけはなってほしくないものです。

ベーゼンドルファーの280に話を戻すと、これには頑として否定される方(おそらくはヴィンテージのベーゼンドルファーの音をご存知の方でしょう)もおられますが、マロニエ君は決して悪くないと思ったし、このピアノを使ったリサイタルでもあれば、ひさびさにホールに出向いて聴いてみたいもんだと思いました。
とくに最近のように、どのメーカーもコンサートグランドでは無個性化が進んでいる(コンクールのせい?)中で、このピアノには節度は保ちつつも個性があって、フォーマルな気品があり、さすがだと感心しました。

シフはどちらかというと楽器を深く鳴らすようなタイプのピアニストではないので、別のピアニストで、いろいろな作品を聴いてみたいものです。