保護政策がほしい

バッハのゴルトベルク変奏曲といえば、いまだに真っ先に頭に浮かぶのはグールドの数種の演奏ですが、もっとも有名なものは1955年のものと、1981年に再録されたものでしょう。
(1981年版は演奏に賛否あるようですが、個人的にはピアノの音があまりにもダサくて演奏とそぐわず、そのせいでほとんど聴きません)
ほかには55年版とはかなり違うアプローチで1954年に収録されたものと、ソ連でのライブ録音などもありますがが、いすれにしろグールドの天才ぶりを一夜にして世に知らしめたのがゴルトベルクであり、そこからからこの風変わりな天才はバッハを中心に尋常ならざる演奏と解釈によって、世界中の音楽ファンを驚愕させました。

というわけで、ゴルトベルクはバッハの傑作であると同時にグールドを代表する作品であり、その信じがたいような鮮やかで超モダンなセンス、さらにはかなり演奏至難な作品でもあることもあってか、それ以降のピアニストは畏れをなして、この作品を手がけて録音するといったことはなかなかしませんでした。

そのグールドも1982年にこの世を去り、時間が経つにつれそれもだんだんに時効のようなことになってきたのか、ぽつりぽつりと他のピアニストによるゴルトベルクが出始め、いまではピアニストのみならず、弦楽合奏版からオルガン、アコーディオン、合唱によるものなど、あらゆる形態や楽器でこの不朽の名作が演奏されるようになりました。

ついには店頭でも、バッハコーナーの中にさらにゴルトベルクのコーナーが作られるほどで、グールドがこの曲で世に出たことにあやかる意味もあるのか、ピアニストの中にはデビュー盤としてゴルトベルクをもってくる新進演奏家も何人も現れるまでになりました。
おかげで、マロニエ君の手許には何種類のゴルトベルクのCDがあるかもわからないほどになりました。

その後はCDそのものが時代遅れとなり、リリースしても販売見込みが立たない、あるはゴルトベルクも増えすぎたということもあるのかもしれませんが、CD業界がすっかり斜陽となり、ほとんど火が消えたような状態に。

そんな中、つい最近だと思いますが、ある超有名ピアニストが「満を持して」といわんばかりにこのゴルトベルクをリリースし、すでに販売されているのかどうかも知りませんが、ネットの動画などではそのプロモーションビデオのようなものがさかんにアップされていました。

そもそもマロニエ君はこの人のことを芸術家とも音楽家とも一切思っていないし、わけてもバッハの音楽とは逆立ちしても接点の見いだせないような別種のイメージしかなく、その人がついにここに手を付けたのかと知って、正直ため息しか出ませんでした。
というわけで、そのプロモーションビデオとやらをおそるおそる見てみましたが、相当の覚悟をもって挑んだものの、それでも足りないほどの趣味による演奏で、その不快感を自分でどう始末をつけていいかもわからない状態になりました。

そもそも芸術性のない人ほど前宣伝や(広義の)パフォーマンスに力が入るもの。
ストレス以外のなにものでもない、むやみなスローなテンポで意味ありげなそぶりをするだけして、あとで必ずその反動のように猛烈な速度や技巧を入れ込んだりと、泣き笑いの三文芝居のよう。

はじめのアリアには実に8分近くも時間をかけ、冒頭からお得意の自己顕示欲のかたまりで、あの美しい音楽が、不気味な爬虫類にでもからみつかれているみたいなイメージでした。
そもそもマロニエ君が耐えられない演奏というのは、個性とはおよそ言いかねるものを芸術性であるかのようにすり替える狡さと悪趣味、自分を印象づけるためだけの意味深で嘘っぱちのアーティキュレーションなどで、よくぞあのアリアの清澄な調べを、あそこまで気持悪くできるものだと逆に感心するだけ。

バッハの作品は、誤解を恐れずに言ってしまえば、きちんと誠実に弾くだけでも作品の力によって、それなり聞くに耐える音の織物になるものですが、それをあそこまで無神経な色や表情に塗りかえてしまうとは!

生まれながらの天才とか、根っから芸術性に恵まれた人というのが、この世の中にはごくまれにいるものですが、今どきはそれらとはおよそかけ離れた人こそが表舞台に堂々と出てくる時代。
突き詰めればビジネスでもあるから、エンターテイメントを提供し商業的に成功していくのは、やむなきことかもしれませんが、芸術の世界でもそれが当然と言わんばかりに中心に居座るのは本当にたまりません。

世界的に有名になって、オファーも途絶えることがなく、チケットも売れるとなれば、もちろんそれは大変なことだと思うし、とりわけその関係者にとっては「音楽性だ芸術だと言ってみても、チケットが売れなきゃどうすんの?」みたいな感覚はあると思うし、それも一定の理解はできます。

でも、少しはそこから外れた真っ当な価値観が生きながらえることもできる、わずかばかりの余地もあってよさそうな気もするんですけどね。
動植物には「絶滅危惧種」などといってビジネス抜きの厳しい保護政策がとられますが、芸術にそれは適用されないのだろうかと思います。