バラエティー

民放TV番組で、以前から何度か目撃したことがありますが、ピアノ経験者の芸能人がスタジオでピアノを弾いてバトルをするという趣向のバラエティーが、季節モノとして定着化しているようですね。

『土曜プレミアム TEPPEN 2020秋 ピアノ絶対女王…』という、すごいタイトルでした。
「TEPPEN」「ピアノ絶対女王」というのが、なにを意味するものかは知らないけれど、つい違和感を感じます。

むろんあれは音楽番組ではなく、ピアノが弾ける芸能人を集めて競わせて順位をつける娯楽番組で、くだらない俳句をどうこう言うようなものと同様で、もとより真面目に視るようなものではないとは思っていますけど。

それは重々わかっていても、ピアノはピアノであり、演奏であり、音楽であるものを「ミス何回で失格」というようなことを堂々とやられると、視聴者の中にも「ピアノはミスなく弾くことが一番大事で、ミスしない人がうまい人!」という認識がTVの強い影響力によって植え付けられ、いつしか本来のコンサートにおいても、同じような尺度で見られてしまうとしたら、一種の危険性を感じてしまいます。

普通のピアノ教師のような人でも、世界的なピアニストのコンサートに行ってさえ、全体の演奏の感想等に触れることのないまま、どこそこでミスしたとか、あそこで音が飛んだとかのアラ探しに熱中あそばし、そういうことを「専門家は気が付きますよ」とか「あの人はさすが、一度もミスをしなかった!」などと自慢気に仰る向きがありますが、これほど恥ずかしい「木を見て森を見ず」式のやりきれないものもありません。
もちろんミスはあるよりないほうがいいけれど、演奏を通じて何をどのように表現したか、美しく感動的に伝えたかということが語られることは、悲しいほど少なかったりします。

まして、TVのゴールデンタイムに、あんなにあからさまにミスの数をカウントして優劣を判じるような番組があるのは、個人的には文化への認識をどんどん押し下げるようなものとしか思えないし、だったら、もっとバカバカしいお笑い番組でもやったほうがどれほどマシかと思います。
しかし、今どきはお笑いであれ芸事であれ、なにかに徹するのではなく、遊びと修練と実力を合体させた半エリート芸のようなものが流行りなのかも。出演者もMC、キャスター、俳優、芸人、なにかの専門家など、すべてがごちゃ混ぜのバラエティーでなくては視聴率がとれないのかもしれません。

日本は何事も先例主義で、ばかばかしい規制だらけ。素晴らしい先進的なものでも認可できない臆病な体質がある反面、文化のような基準のないものに関してはまさに無法地帯、破壊することに何の規制も躊躇もありませんね。


というわけで、マロニエ君はむろん毎回見ることは断じてないし、今回はたまたま目に止まっただけですが、どういうわけかはじめは電子ピアノで演奏、続くフリータイム(だったかな?)というのになると本物のピアノが使われます。

それがまた変わっていて、本物のピアノも前屋根だけを開け、大屋根は閉めた状態という不思議なスタイルでした。
使われるピアノはやはりゴールデンタイムの娯楽番組ということで視聴者への影響力があるのか、メーカー同士の摩擦があるのか、そのあたりの裏事情など知るはずもないけれど、普通、鍵盤蓋にあるべきメーカーロゴは完全に消された無印ピアノでした。

しかも、ボディ全体は1980年代までのスタインウェイのように、つや消し塗装されたコンサートグランドだったことがこの場合いっそう不思議でした。
大屋根を開けるのがピアノの一般的なスタイルであるのに閉めたままで、手元で必ず見えるメーカーロゴを消し、とくに日本製のピアノを馴染みのないつや消し塗装にしてしまうというのは、まるで謎の装甲車のようでした。

でも、そうまでしても、細部の形状等からヤマハのCFIIIもしくはCFIIISであることは明らかでした。
ということは、他メーカーへの配慮、あるいは民放テレビお得意の「自主規制」だったのか、真相はわかりませんが、背後に複雑な事情のあることだけは透けて見えるようでした。

音について。
スマホの画面みたいに、やたらピカピカした音をふりまく近ごろの新世代ピアノとは違い、旧型のCFシリーズが今よりもずっと厚みのある落ち着いた音だったのは印象的でした。
さらに大屋根を開けていないこと、音がまろやかになるといわれるつや消し塗装という条件なども重なっていたのかもしれませんが、ひさびさにピアノらしい音を聴けた感じはありました。