五嶋節物語

古い本ですが、『五嶋節物語 母と神童』(奥田昭則著 小学館)を読んでいます。
こんなブログとはいえ、読了もしないうちから何か書くのはあんまりでは?とも思いましたが、まあ思いつくままに。

五嶋節さんは、言わずと知れた五嶋みどり(弟さんもいましたね)を世界のヴァイオリニストに育て上げたお母さん。五嶋みどりのコンサート終了後の様子をテレビでチラッと見たことがありますが、陽気で気さくな関西の女性という感じで、親子といってもお嬢さんとはずいぶん様子が違うなぁと思った覚えがあります。

なにしろ、二人の我が子をあそこまでにした女性だから並大抵の人ではないだろうと思っていたけれど、この本のページを繰るごとにへぇぇへぇぇと驚くことの連続でした。
なにより驚いたのは、この節さん自身が大変なヴァイオリンの名手だそうで、その演奏はただ上手いというようなものではなく、天才的で、器が大きく、聴く者を魅了するものだったとか。

当然ながら学生時代は優等生タイプではなく、考え方など独自の感覚と存在感があり、普通の生徒とはかなり違ったところのある人だったようで、ヴァイオリンを弾くと圧倒的で、いわゆる天才気質だったとか。
オーケストラに入るのが夢で、相愛学園のオケのコンサートマスターまで務めていたにもかかわらず、当時神のように恐れられて、ときおり指導に来ていたという斎藤秀雄氏による独自の徹底した指導に反発してそこを離れるなど、やはり凡人とは感じ方も行動も違っていたでしょうね

ヴァイオリン奏者としての資質は確かなもので、申し分のないものだったようです。

しかし、家族の反対や時代に阻まれて、本格的な演奏家になる道はどうしても叶わず、その後結婚して生まれたのがみどりなんですね。わずか2歳のころ彼女がピアノなどよりヴァイオリンに興味を示したため、ほんならというわけで徹底的に教えこんだのがこの節さん。
みどりが天才であることに異論を挟む人はいないと思うけれど、子供にとって最も身近な母親が、それだけの天分と尋常ならざる気骨あるスーパー教師なのだから、そりゃあ鬼に金棒でしょう。
当初から一貫して、すべて母から仕込まれたというのも驚きでした。

節さんの演奏を知る人によれば、みどりのほうが完成度は高いけれど演奏は小さいと感じるんだそうで、どんな演奏だったか聴きたくてウズウズするようです。

学生時代は歌謡曲を弾くアルバイトをして、クラシックの訓練だけでは得られない貴重な体験を積んだり、そうかと思えばヴァイオリンから離れて、家出をして、水商売で働いて周りをハラハラさせてみたりと、やることがとにかく奔放で規格外で、まるでデュ・プレやアルゲリッチみたいな、天才特有の匂いを感じます。

それでも、周囲(家族?)の鉄壁の反対は如何ともしがたいものがあり、ついにはプロへの道はあきらめざるを得なかったようで、ご本人はもとより、その演奏によって深い感銘にいざなわれたかもしれない我々にしてみれば、ただ残念というほかありません。

それでも、人間って本質は変わるものではなく、こうと決めたらやり遂げる人だから、英語もできず、多いとはいえない貯金を一切合切もって、10歳のみどりをつれてニューヨークに渡るというような、芝居で言えば「第2幕」といえるような突飛な行動にも繋がったのは間違いなく、このあたりがなにかと常識やリスクに照らし合わせる凡人とは違うところでしょう。

音楽に限らず、芸術/芸術家と名のつく世界には、いわゆる凡人の立ち入る場所はありません。
凡庸な常識の世界ではなく、才能と努力(そして努力を惜しまない才能)、毒と狂気と、突風の吹き荒れる崖っぷちをさまようような苦悩の世界。
そこは、天才という名の常軌を逸した超人だけが棲むべき世界で、そこから紡ぎだされる美の世界を我々凡人は、その美のしずくのおこぼれを得ようと、口を開けて待っているようなものかもしれません。

それにしても関西はヴァイオリニストをよく排出するエリアですね。

五嶋みどりだけでなく、辻久子、神尾真由子、木嶋真優の各氏など、関西はパッと思いつくだけでも大物ヴァイオリニストが何人もいらっしゃいますが、土壌的気質的な何かと関連があるのかもしれません。