シュワンダーの真実

あらかた書いて、忘れていた文章がひょっこり出てきました。

今年のはじめ、ヴィンテージピアノの修復家の方にお会いできたので、いろいろとお話を伺いましたが、その中でも長らく完全に勘違いをしていたことがありました。

グランドのアクションについてですが、ウイペンのスプリングにはシングルとダブルがあり、現代のピアノはダブルが主流というのは通説ですね。

シングルのタイプにはそれなりのしっとり感や繊細な表現の可能性があり、バランスよく機能していればこれはこれで好きなのですが、なにぶん調整面の制限があって技術者泣かせのようだし、ハンマー交換などするとその弱点が露わになることも少なくないようです。
それに対して、ダブルスプリングはタッチのある種のデリカシーには乏しかったりすることもあるけれど、個別の調整幅があってキーの戻りなど俊敏性に優れており、機能面では断然こちらのようです。

これについてはマロニエ君もディアパソンを持っていた時代、ハンマー交換後の調整を重ねたもののどうにもうまくいかず、ついにはウイペンをダブルスプリングのタイプに総入替してもらったりと、技術者さんにはずいぶんご苦労をおかけしましたが、おかげでいい経験になりました。

ところで、その名称について。
一般に「シングルスプリングのことをシュワンダー」「ダブルスプリングのことをヘルツ」というのが通称になっており、要するにその名前が即、ウイペンのスプリング形式を表しているという認識でした。

それはマロニエ君のような素人の勝手な思い込みとだけでなく、プロフェッショナルの方もそういう言い方をしばしばされ、一般にはほぼそのように認識されているようです。
試しにネットでそのあたりを検索してみると、技術者のブログなどで、タッチ改善のためにシングルからダブルへとウイペンを交換することを「シュワンダーからヘルツにしました」といったような表現が、複数確認できます。
シュワンダーとヘルツの違いがわかるよう、2つ並べて写真まで添付されていたり。

ところが、この修復家によればそれはまったくの誤りであると、いともあっさり言われました!
シュワンダーとはレンナーとかランガーのように、いわゆるアクションの製造メーカーの名前というにすぎず、シュワンダー→シングルスプリングではないとのこと。
そればかりか、シュワンダーにもダブルスプリングとシングルプリングの両アクションが存在していて、現在もこの方の工房には「シュワンダー製のダブルスプリングのウイペンを搭載したピアノがある」といわれたのには、まさに「ひえ〜!」でした。

また、レンナー・アクションにもシングルスプリング仕様はあったのだそうで、アクションメーカーの名前がスプリング形式の代名詞となるのは、まったくの間違いであるとのこと。
で、ヨーロッパではダブルスプリングのことを「スタインウェイ式」、シングルを「エラール式」と呼んでこれらを区別しているとか。

では、そのスタインウェイ式をヘルツ式というようになったのはなぜなのか?
そこも質問しましたが「それはわからない」とのことで、ネットでも見てみましたが、ヘルツは周波数のことばかりでピアノに関することはついには見つけ出すことができませんでした。
ただ「スタインウェイ式」というからには、昔のスタインウェイ社の誰かが考案したものなんでしょうね。

戦前のベヒシュタインでもダブルスプリング式のピアノがあったそうですが、スタインウェイとの特許かなにかの争いで負けたたため、やむなくシングルに戻ったというような話もありました。
もちろん現代のベヒシュタインはダブルスプリングであるのはいうまでもありませんが、そこに至るにはいろいろな事情や変遷、そして事実誤認があるということですね。

ちなみにシュワンダー(Schwander)は英語読みのようで、フランスではシュヴァンデルというようで、井上さつき著の『ピアノの近代史』(中央公論新社)の中にも、「アルザス出身のジャン・シュヴァンデルはやはりアルザス出身のジョゼフ・エルビュルジュと組み、数々の改良を行い、国際的なアクションメーカーとなった」とあり、1913年には1000名の従業員があり年間10万台のアクションを生産、イギリスやドイツに数多く輸出され、シュヴァンデルのアクションを使っていることはピアノ販売の重要なセールスポイントとなったとも述べられています。

というわけで、今後、シュワンダー/ヘルツという表現は、アクション機構、スプリング形式を示すものではないという認識が必要なようです。
そうかといって、「スタインウェイ式」「エラール式」では日本では違和感もあるでしょうから、せめてダブルスプリング/シングルスプリングというのがいいのかもしれません。