以前にも似たようなことを書いた覚えがあるので、重複するところはご勘弁を。
ピアノ購入者の中にはびこる「グランド信仰」というのは、相当に根強いものがあります(大人の趣味としてこだわりをもってピアノを買われる方は、ここに書く内容には該当しない人達ですが)。
子供にピアノをやらせている親御さん、音大に行った人とか、先生とか、あるいは技術者であるとか、世間的には「専門家」とされる人達の価値観というのは、ピアノの場合、かなりの固定観念に凝り固まった方が多くおいでのように思います。
それは、ピアノといえばグランドであり、グランドこそがピアノといえるもので、アップライトはまがい物でしょせんは妥協の産物。
置き場の問題と予算さえクリアできるなら、グランドにすべきは当然で、音楽性に乏しい有名量産メーカーのものであれ、まずはグランドか否かが重要、グランドはすべてのアップライトに優るという強烈な思い込み。
「グランドでないと真の上達は見込めない」「試験やコンクールに受からない」とまでされ、そういう人達はどんなに素晴らしいアップライトでも眼中にはなく、グランドでありさえすれば安心されるようです。
彼らの言い分はおおよそ決まっています。
先生はじめ内輪の伝聞によって、一秒間にできる連打の数など構造上の違いがある、早い話がグランドで練習しないと上手くならないというもの。
かくいう人達のほとんどはダブルエスケープメントという言葉すらご存知ないし、そういう人達がグランドのアクションでこそ可能なデリケートな音色の変化やタッチコントロールの妙を追求しているかというと…甚だ疑問に感じます。
さらにアップライトで弾けるのはせいぜい中級曲までで、上を目指すならグランドじゃないと無理というのがほとんど常識となっているのも驚きです。
できることなら、グランドで練習したほうが良いという説を否定しようというつもりはないけれど、美音を生み出すタッチや音楽性には無関心で、ただグランドでガンガン練習さえすれば良い結果が得られるという短絡的な理屈はいかがなものか。
せいぜい言えるのは、たとえばワルトシュタインの冒頭和音のこまやかな連打が、グランドのほうが楽にできるという程度の差でしかなく、弾ける人が弾けば、ショパンのエチュードだって、バラキレフのイスラメイだって、アップライトでも弾けますよ。
あるいは発表会であれコンクールであれ、ホールにあるのは、大抵有名メーカーのフルコンだったりするので、日頃からグランドで練習していないと本番で弾けなくなる!などとまことしやかに言われますが、それをいうならステージ上のコンサートグランドというのは、鍵盤からハンマーまでの長さも違うし、音色、音の出方、ホールの響き方、タッチ、音の放出感やバランスの取り方など、ことごとく違うわけで、それをたかだか家庭用の小型グランドを自宅に備えたからといって、解決するものとも思えないんですけどね。
グランドで育った人とアップライトで育った人とでは、音の出し方がまるで違う!などと尤もらしく言われたりしますが、マロニエ君はまったくそのようには思いません。
それはグランドかアップライトかの差ではなく、音楽的な演奏を目指しているか、美しい音の出せるような鍛錬をしているかどうか、タッチコントロールの必要性を教えてくれる教師か否かの問題のほうがはるかに大きいと思います。
それどころか、だいたいグランドさえ買っておけば安心するような親御さんの子に限って、音色に対する配慮どころか、音量バランスもへったくれもないまま、ただ単調で機械的に、そしてところどころに悪趣味な抑揚をつけて難しい曲を早く弾いたりするだけというのはご存じの方も多いでしょう。わざわざベンツで子供を学校や塾に送り迎えするのと同じとはいいませんが、大事なポイントがいささかズレているようにしか思えません。
思うに最も大事なのは、はっきり言えば価値観や教養など周囲の環境、音楽に対する愛情、美に対する感性、好ましい先生(これが絶滅危惧種並ですが)の指導などであって、それらがバランスよく統合されて育っていれば練習台がアップライトでも云うほどのハンデイがあるとは思いません。
どのみちピアノは持ち歩きはできず、そこにあるさまざまなピアノで弾かざるをえないもの。
昔のロシアのピアニストはところどころ音の出ないような、ピアノとも言えないようなガラクタで練習していたのだし、ダン・タイ・ソンやラファウ・ブレハッチは幼年期からずっとアップライトで育ったそうですが、にもかかわらず両人ともショパン・コンクールの優勝者です。
ちなみに、なにかの本で読んだところではパリの人達は、学習者はもちろん、本物のコンサートピアニストでさえ自宅(大抵はアパルトマン?)ではほとんどがアップライトだそうです。それでも海外からこぞって音楽留学してくるだけの高度な芸術性と演奏家のレベルを維持しているというこの事実ひとつとっても、やみくもにグランドが必要ということは裏付けられているとは思えません。
もちろん買える方は買われたらいいのだけれど、「グランドじゃなきゃダメ!」的な発想は、そこが正にダメだと思うのです。